ホールの客席に父の姿はなかった。
8月20日、熊本市で開かれた九州吹奏楽コンクール。奄美大島(鹿児島県)の名瀬中学校(名中(なちゅう))は大会最少の13人で舞台に立った。サックス担当の三原千音(かずね)君(2年)は父・秀樹さんを思った。
「今ここにいるのは、父のお陰かもしれない」
12分間の本番は折り返し、自由曲「ドラゴンの年」が始まる。先生が指揮の手を振ると、スネアドラムの鋭いリズムが曲間の静寂を打ち破った――。
吹奏楽は昨年、中学に入って始めた。五つ上の兄の影響だ。全国大会常連の高校でフルートのソロを堂々と披露する姿に憧れた。
そのときは鹿児島市の街中の中学に通っていたが、その後、「名中で音楽がしたい」と思うようになったのには別の理由があった。
小学生の頃、車の中でよく流れていた曲がある。
1977年の課題曲C「ディスコ・キッド」。
ハンドルを握る父は「中学生のとき全国大会で吹いたんだ」と、少し得意げに言った。吹奏楽の甲子園と呼ばれる「普門館」。奄美出身の父は当時、名中の吹奏楽部員として、その舞台に立ったらしい。
「本当に普門館に行ったの?」と、最初は信じられない気もしたが、父は長年、教師として吹奏楽の指導に携わっていた。千音という名前も、「音楽に長く向き合ってほしい」という願いからと聞いていた。
吹部(すいぶ)に入れと言われたことはない。ただ、中学に上がった兄が入部を迷っていた頃、話の流れで「千音も吹いてみて」と愛用のフルートを渡された記憶がある。
今思えば、父は自分にも吹部に入ってほしかったのかもしれない。
かつて普門館の舞台に立った父と、背中を追うように吹部に入った息子。しかし、島での日々は一転します。6月の夜のことでした。記事後半には、演奏に励む千音君の動画もあります。
昨年の春、父は名中の校長になり奄美へ単身赴任した。そのとき、「名中の吹部に入るか」と聞いてきた。冗談だったかもしれないが、どんなところかは気になっていた。
転機は、数カ月後の夏のコンクール県大会だった。
父の誘いもあり、名中の演奏…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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