JR品川駅から徒歩15分、屋形船「船清(ふなせい)」の乗船場は、ひっそりとしていた。8月までの緊急事態宣言を受け、2人から乗れる「乗合船」は運航を休止。アルコール、カラオケの提供を止めた上で、15人以上の貸切船は昼夜受け付けているが、週末も客はほとんどいない。
「コロナがなければ今ごろ、世界中のお客様を迎えていたはず。五輪の開催地なのに。寂しいし、悔しい」。女将(おかみ)の伊東陽子さん(68)が肩を落とす。船清の屋形船は昨年2月、クラスターの発生源かのように扱われ、報じられた。まだ日本でコロナが身近な存在でなかった頃のことだ。
東京五輪開幕を目前に控えた7月20日、船の中を案内してもらった。
冷房が利き、さらりとした畳が心地よい。窓を開けると、水面に映った提灯(ちょうちん)が小さく揺れていた。
1949年の創業当初は、釣り船業だった。「船頭さんが碇(いかり)をポチョンと下ろしてね。取った魚をすぐに調理してお出しするの」。伊東さんによると、東京湾でもハゼやカレイがたくさん釣れたという。64年の東京五輪の頃から、埋め立てが進み、海洋汚染も相まって魚が減った。そこで87年から屋形船という形で商売を始めることに。2004年に掘りごたつ式の船を造ると海外客も増え、コロナ禍の前は3割ほどを占めていた。
船の窓から流れ行く風景を見ながら、親しい人と一緒に食事をいただく。「情緒ある非日常」を味わってもらうため、料亭のような空間を目指してきた。出航する際は一隻ずつ伊東さんがあいさつした。
苦手だったが、英語での案内も丸暗記した。朝のミーティングでは1フレーズの外国語を覚える時間を設け、スタッフと一緒にタイ語やフランス語にも触れた。だが、海外からの客は昨年2月を最後に、姿を見せていない。
キャンセルが相次ぎ、損失は…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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