昨年7月の大相撲名古屋場所14日目。「次の大関」の筆頭候補とされている埼玉県朝霞市出身の関脇大栄翔(30)=本名高西勇人、追手風部屋=は、上位力士ならやらない「立ち合いの変化」を見せた。
行司の「ハッキヨイ」の声と同時に、左に跳んだ。会場はざわめきに包まれた。勝ち星は拾ったが、大関昇進は逃した。
あの日、大栄翔はなぜ跳んだのか――。
大相撲の個人優勝制度が生まれたのは、1909(明治42)年。
それから112年後。3年前の初場所で、県出身力士として初の幕内最高優勝を果たしたのが大栄翔だ。昨年は三役に定着し、最後まで年間最多勝を争った。
だが、大関には昇進できなかった。
春場所では小結で12勝、夏場所では関脇で10勝をあげた。「直近3場所を三役で計33勝」が大関昇進の目安だ。名古屋で11勝すれば、大栄翔の大関昇進は確実だった。
ただ、13日目を終えた時点で8勝止まりで、場所後の昇進はほぼ消えた。
悔いが残る変化 「時間を戻せたら、たとえ体がどうなっても……」
ならば、次につなげるため「…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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