核兵器の惨禍を訴え続けてきた原爆ドーム(広島市)が世界文化遺産に登録されてから7日、25年になる。
朝日新聞記者は3日、ドームを管理している広島市の許可を得て、通常は立ち入りが制限されている敷地内からドームの現状を取材した。76年前、人々の日常を一瞬で破壊した原爆の傷痕が、今も生々しく残されていた。
原爆ドームは爆心地から北西約160メートルの元安川沿いにたたずむ。1915年に完成し、当初は「広島県物産陳列館」、被爆当時は「広島県産業奨励館」と呼ばれる3階建てれんが造りの洋館だった。
ふかふかとした芝生の上を進んでドームに近づくと、灰色の外壁が1階部分で崩れ落ち、地面には赤茶色のれんがや、がれきが無数に積み上がっていた。
かつての正面玄関から進み、階段室だったドーム真下の中央部分に入る。内部には風や地震に耐えるための鉄骨が張り巡らされていた。一方、かつて大黒柱として建物を支えていた2本の支柱はいずれも地面から1メートルほどの高さで折れていた。
大正時代に建てられた洋館は原爆の熱線と爆風に耐え、「原爆ドーム」として残りました。初めて中に入った記者は、原爆が力ずくで踏みにじったものの大きさを考えました。
高さ約25メートルのところ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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