本多由佳
東京大空襲から77年の10日、東京都墨田区の都慰霊堂で法要があり、空襲体験者や遺族らが犠牲者を悼んだ。一夜で10万人が命を落としたあの日の記憶と、ロシアによるウクライナ侵攻を重ね合わせる人がいた。
江東区大島周辺で空襲に遭った沖ヨシエさん(86)=同区=は当時9歳。その夜、姉に手を引かれ、どぶ川に逃げ込んだ。水位は高かったが石の上に立ち、何とか出した顔の横を、死体が流れた。水が熱かったか冷たかったか、何も感じなかった。小学5年生の兄は自宅近くの蔵に逃げたが、煙に巻かれて亡くなった。
ウクライナ侵攻のニュースに、「あんなことして、どうなるのか。焼夷(しょうい)弾や爆弾が落ちると、家なんてぱーっと燃えてしまうんですよ」と憤る。「私は経験したから、子どもたちが本当にかわいそう。戦争をしないように話し合いを進めてもらえないか」と訴えた。
現在の千葉県香取市に疎開をしていた長島政子さん(85)=江戸川区=は、実家があった錦糸町周辺への空襲で母親ときょうだい5人を亡くした。布団をかぶり、声を殺して泣いた。
いま、自身の境遇がウクライナで親を亡くした子どもに重なるという。「親との別れを思い出し、胸がいっぱいになっちゃう。何で戦争なんかあるのかな、とすごく複雑な気持ち」と声を震わせた。(本多由佳)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル