いまも決着しない水俣病 救済法の漏れ問う裁判、判決で道筋見えるか

記者解説 水俣支局長・今村建二、大阪社会部・北沢拓也

 「水俣病は決着した」

 1956年に熊本県水俣市で公式確認された公害病は、過去何度もこんな言葉で幕引きが図られた。原因企業のチッソや国は補償や支援策を示したが、不十分さを指摘し、被害者救済の間口を広げてきたのが司法だった。患者の認定基準のハードルを下げる判断を示し、支援につながった。それでも、なお救済の網から漏れた人たちは多く、裁判が続いている。

 最初の裁判が起こされたのは公式確認の13年後だった。メチル水銀の海への排出は、56年以降も「原因は特定されていない」として続いていた。チッソは59年に低額の見舞金契約を患者と結んだ。内容には「将来、原因が工場排水と決定しても新たな補償要求は一切しない」と盛り込まれ、これで問題は決着したと主張された。

 「会社」といえばチッソを指す企業城下町で責任を問うのは、被害者にとって相当な覚悟が必要だった。68年にようやく政府が水俣病を公害だと認定。患者が補償や救済を求め声をあげた(1次訴訟)。73年3月の熊本地裁判決はチッソの責任を断罪し、補償を命じた。判決確定後、チッソと患者との間で補償協定が結ばれた。

 水俣病の患者かどうかは国の基準に基づいて熊本、鹿児島両県が認定する(新潟水俣病新潟県新潟市)。認められれば、年金や医療費が支払われる。

ポイント

 水俣病は勝訴を重ねて2度も「政治決着」したはずだったが、今も解決していない。救済の網から漏れた被害者が起こした裁判で、これから半年の間に判決が相次ぐ。見えにくい被害の実相をつかむため国は調査を実施し、救済に道筋をつけるべきだ。

 感覚障害など同様の症状があ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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