Re:Ron連載「問いでつながる」第2回
「小隊長どの…(中略)…一体我々はなにしにこんなところで戦うのでしょうか」
「そいつあわしにも分らんなあ」
(水木しげる『総員玉砕せよ!新装完全版』講談社文庫、2022年、213ページ)
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戦争では、あまりに簡単にひとが死ぬ。水木しげるが描く戦場の日常は、のんきに会話をしていたかと思えば、次の瞬間に誰かがばらばらになる。だが、ドラマチックに泣いたりはしない。「それにしてもくせえなあ」と言いながら、死体を洗ったりする。
ふと問いがもちあがる。自分たちはなぜここにいるのだろう。かれらがいるのは、南方戦線ニューブリテン島バイエン。なぜこんなところで戦うのだろう。そもそも、なんでこんなことになったんだっけ。誰にもわからない。きっと戦争をはじめたひとにも、わからないのだろう。
ひとりの兵隊が、小隊長にたずねる。これからどうなりますか。なにしにこんなところで戦うのでしょうか。かれらはおなかがすいている。兵隊の問いに「分らんなあ」とぼんやり答えた小隊長は「まあ すし食う夢でもみて寝てくれ」と言う。それを聞いた兵隊たちは、お茶づけやアンパン、ヨウカンなど、いろいろな味を思い出して、力なく笑う。太平洋戦争における日本人戦没者の過半数は餓死であるとされる。
その頃、かれらのすぐ近くでは、大隊長が「玉砕あるのみ」と意気込んでいる。多くの人間の命を吹き飛ばすことを命令できる立場である彼は、まだたったの27歳だった。27歳だったとき、あなたは何を考えていただろうか。27歳になるとき、あなたは何をしているだろうか。
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「ああ」「みんなこんな気持で死んで行ったんだなあ」「誰にみられることもなく」「誰に語ることもできず……ただわすれ去られるだけ……」(同上、354ページ)
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玉砕命令が下された兵隊たちは「突撃」を試みる。わたしたちの隣にいるようなごく普通のひとが、なんだかよくわからないままにそこにいる。撃つひとも、撃たれるひとも、数年前までは、ただ一人の人間として暮らしていた。ふざけたり、好物を食べたり、夢を見たり、気持ちよく寝転んだりして、生きていた。
あなたは知っているだろうか。日本人戦没者の90%以上が、太平洋戦争末期に亡くなっているとされていること。餓死だけでなく、高熱に悶(もだ)え苦しむ病死、35万人を超える水没死、強いられる自決、無理な玉砕命令、終戦を迎えたとしても、日常を喰(く)い破っていく被ばくによる苦しみ、シベリア抑留での過酷な日々のこと。
だが「知っている」とは何だろう。わたしたちはむしろ、知ることができない。顔を撃ち抜かれた兵士が「みんなこんな気持で死んで行ったんだなあ」と思ったことを。おなかがすいて、すいて、すいて、すいてたまらないことを。腕のケロイドを静かに隠すときの、感情の痙攣(けいれん)を。血を流す人びとでひしめき合うガマで、死体をよけながらすすり飲んだ溜(た)まり水の味を。
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ぼく自身の経験でいいますと、ぼくは『ヒロシマ・ノート』という本を書きましたが、それについてまことにいろいろな批判がありました。ぼくはとくに広島の現地からの反論がほとんどつねに正しいと考えています。そしてそれがあってはじめてぼくの本にいくらかの意味が生じてきていると思うのです。
とくに被爆者からの批判の正しさということがあります。それはたいていの被爆者のかたがこういうふうに批判してくださったのでした。すなわち、自分たちはもっとおそろしい目にあった。ああいうきれい事じゃない、という批判です。ぼくはそれはまことにほんとうだろうと思うのです。(大江健三郎『核時代の想像力』新潮選書、1970年、200ページ)
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たとえカメラですべてを記録していたとしても、同じように人びとは言うだろう。そのように言わざるをえない、原爆によって攻撃されるとはそういう経験なのだと大江健三郎は結んでいる。戦争は、わたしたちのあらゆる想像力を超えている。理解を超え、描きうる光景を超え、これまでに人間がつくりあげてきたイメージを超えている。
しかしそこで、あっけなく想像力を手放していいのだろうか。おそろしさのあまりに、わかりやすさに逃げ込んだり、「悲惨な経験」というラベルをつけて、奥の引き出しに隠したりしてしまう、そのような“戦後”でよいのだろうか。
2022年の3月、新宿駅南口の反戦集会でわたしは、ふるえる声で「戦争反対」と言った。ロシアによるウクライナ侵攻が、もう取り返しのつかないところまで進んでいた。わたしのちいさな声をマイクが拾って、あたりいっぱいに響き渡らせた。マスクで覆われた人びとは、黙ってそれを聞いていた。楽器を鳴らして怒りを表現する音楽家たちがいた。プラカードをかざしているひとがいた。ほとんどのひとが混乱していた。「戦争」という言葉を前にして、どうしたらいいかわからなくなっていた。
恐怖と不安は、わたしたちを…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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