「少しずつでも、我々は本当の文化的な人間になっていきたい。そういう我々の要望に、今の政治は応えてくれているのでしょうか」――。今から30年ほど前に、90歳の女性作家はこう語った。住井すゑ。小説「橋のない川」で、差別と闘う人たちを描いた。首相が「共助」の前に「自助」と言い放つコロナ禍の今、反骨の作家の言葉が重く響く。
旧居にそびえる3本の桜 「切らないでね」
《三本の桜は競うように天に向いて幹をのばし、四方に枝をひろげ、そして眼(め)も鮮やかに花をつけた。それは家族だけで眺めるには、あまりにも勿体(もったい)ない風情だった。》――「花の盛りは」(「牛久沼のほとり」)
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うららかな春の空が、穏やかな水面に映える。茨城県牛久市に広がる牛久沼のほとり。約25メートルの高台の一角に、作家住井すゑが、戦前から半世紀以上暮らした旧居が立つ。
住井はここで、いわれなき差別と闘う人々を大河小説「橋のない川」で描いた。90歳で第7部を刊行。書斎で原稿を執筆する合間に、「大地のえくぼ」と呼んだ沼をめで、1997年に95歳で生涯を閉じた。
昨夏から進んでいた旧居の改修工事が終わった。住井の遺族から約3千平方メートルの土地や建物、遺品などの寄付を受けた市が9月、「市住井すゑ文学館」として公開する予定だ。書斎は「橋のない川」などの原稿や遺品を飾る展示棟に、母屋は管理棟に生まれ変わる。公開学習会を開いた「抱樸舎(ほうぼくしゃ)」も開放される。
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庭の一隅に3本の桜がそびえる。住井の次男・充(みつる)さんが戦後間もない頃、高校生の時に植えた。住井のエッセー集「牛久沼のほとり」には、「二男はその苗木を庭に定植しながら、『パパは病気ばかりしていて花見にも行けない。だから居ながら花見ができるようにと思って買ってきたんだ』と言う」とつづられた。
「パパ」は、住井の夫で農民作家の卯(しげる)。57年に65歳で死去した。「何本かの枝にちらほら花をつけはじめた時点でパパは急逝した」。住井は「牛久沼のほとり」でこう回想している。
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植えられた当時、高さ1メートルほどだったソメイヨシノは、約10メートルの巨木になった。2016年に充さんは亡くなった。
「切らないでね」
孝行桜の行く末を気にかけていた充さんの妻和子さん(81)から、保存を頼まれたのが飛鳥川みつきさん(39)だ。
牛久市教育委員会文化芸術課の職員。18年から文学館の基本計画に関わり、昨春から毎週1~2回、現場に通う。住井を知るため「橋のない川」を読破。「差別の不条理を訴えるすゑさんのエネルギーに圧倒された」と語る。
文学館で展示される資料の目玉は、住井の未公開日記だ。飛鳥川さんが、旧居の物置にあった、カビが生えた段ボールの中から見つけた。ぜんそくに苦しみぬいた卯の死後、1週間たった57年7月28日から約半年間にわたり記されていた。
「たった三日でもいい。あなたにも呼吸の苦痛のない日を持たせてやりたかった」「もうこの地上に私の愛する人は絶対にいない」 万年筆で書かれた文面には、夫の死を悲しむ愛情があふれていた。「書き殴っているような文字に感情が波打っているようでした」と振り返る。
「川をへだてて、どうしてもあなたのそばに行けぬ苦しい苦しい夢を見た」。日記には、夫の死の翌年から書き始めた「橋のない川」第1部第1章「星霜」の冒頭場面を想起させる記述もあった。「創作につながる貴重な資料になるのでは、とドキドキした。見つけられてよかった」
庭でうっそうとしていた樹木は、工事に伴い伐採された。3本の孝行桜だけが往時の面影を残す。
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住井は毎年4月の第2日曜、近所の人と花見の宴を催した。かつて空を覆い尽くすように咲き誇った桜の勢いは衰えた。が、今でも毎年3月末になると、薄紅色の鮮やかな花をつける。今年は早くも満開だ。
「お願いね」。文学館の開館を前に、飛鳥川さんは住井に背中を押されているように感じる。「文学館が住井文学を再評価するきっかけになればうれしい」
記事の後半では、住井すゑの家族や交わりのあった人たちの証言から、人権や平等を訴えた作家の生涯に迫ります。
■「思うがままに書いた」 長男…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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