お袋ごめん…義足になった板金工 「痛み」を分かち合った母との手紙

 真夜中に何度も出かけようとした母。いら立ちから、思わず、ほおを張った。正気に返ったような母の目が忘れられない。お袋、ごめん――。

 宗田徹也さん(76)は左足に義足を付けて約20年になる。富山県小矢部市で身体障害者協会の事務局長を務めながら、オカリナの演奏グループや、地元の縄文遺跡を盛り上げる市民団体でも活動している。

 「第二の人生」は新しい出会いの連続だ。

 「楽しくてやめられんわね。義足で不便なことはあるけれど、不幸じゃない」

 かつては板金工だった。父と立ち上げた板金工業所で、40歳から代表を務め、地元の神社仏閣の工事などを手がけた。年を重ねてもずっと、商売を続けていくと思っていた。

 だが54歳の2000年秋、瓦屋根での作業中に数メートル下に転落した。左足を開放骨折し、複数回の手術の末、左足のひざ下を切断することになった。「あのときは商売をやめんなんやろうと、目の前が真っ暗やった」

 入院生活は1年1カ月に及んだ。見舞いにくる家族には「水虫を心配せんでいいし、爪も切らんでもいいし楽や!」と明るく応じ、誰もいなくなった病室で布団をかぶって泣いた。

 そんな一人きりの病室で思い出したのが、幼い頃の母の言葉だった。

 「なったもん、しゃあない…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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