コロナ禍で花見や歓迎会など宴会の自粛が求められているさなか、政治家や官僚と企業との会食を巡る問題が噴出しています。そもそも複数の人が集まり、酒食を共にすることは、歴史的にどのような意味を持つのでしょうか。中世史研究者の盛本昌広さんに聞きました。
――柳田国男は、宴会の目的について、神と人、また人間同士がつながりを持つために同じ物を食べた、などと述べています。
宴会と言っても、神様に捧げた物を参列者が共に食する宗教的なものから、権限を持つ人を接待するものまで、形態は様々です。
現在の新人歓迎会のように、別の場所から新たに来た人を供応する宴会は、平安時代にもありました。新任の国司を国の人々が接待する「三日厨(みっかくりや)」です。土地でとれたものを共に食べることは、その共同体の一員になったことの象徴でもありました。
当時の文献には、酒食の提供に加え、豪華な特産品が贈られた例も記されています。宴会と贈り物は、昔からセットでした。
インタビューの後半では戦後に広がった「会社の宴会」についても聞いています。
――もてなす側は、やはり何らかの見返りを期待していたのでしょうか。
基本的には、「釣り合い」をと…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル