かつて「ギャング」のブラジル人 仲間の人生も背負い地元に生きる

 名古屋のベッドタウンで、工場も多い岐阜県可児(かに)市。日系ブラジル人の塩野ホドリゴさん(34)は、このまちで解体業を営んでいる。

 大きな背中いっぱいに刻まれた「0574 familia」のタトゥー。ヒップホップ好きの仲間と結成したグループで、数字は可児の市外局番、familiaはポルトガル語で家族の意味だ。

 かつては暴力的な「ギャング」でもあったが、いまはまさに「家族」だという。

 「おれには、これしかないもんで」

中学に通えたのは週2日だけ

 ブラジルから先に働きに来ていた母親と一緒に暮らすため11歳で来日。小学校に通うことなく可児市立蘇南中へ。

 「くろい」「きたない」。級友から教わった日本語の意味を後で知った。「勘違いもあったと思う。でも言葉が分からんで、手が出た」

 体が大きく、負けん気も強かった。学校へ行けばけんかをし、廊下で音楽をかけて踊った。先生も手に負えず、通わせてもらえるのは通訳の先生が来る週2日だけだった。

 2000年代前半の当時、日本語が十分に分からない子どもを学校で支える仕組みは、十分でなかった。

 「不良は差別がなかった」。学校内外で仲間とバイクで暴走し、暴力に明け暮れた。

少年院で初めて日本語学んだ

 「うちらにしたら、少年院が学校の代わりやった」

 17歳で入った愛知県の少年院で、初めて本格的に日本語を学んだ。読書でポルトガル語の読み書きもできるようになった。

 働きづめだった母と初めて一緒に食事をしたのも、少年院の運動会だったと記憶している。支給された昼食の唐揚げを、母が一つくれたのを覚えている。「別れる時はつらかったな」

 だが社会に戻っても環境は簡…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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