じいちゃんと歩きたかった廃線跡 日記に残された運転士の日常

 廃線になった線路の上を、半分ほど進んだ。

 延々と続く、雑草に覆われた鉄路と、真っ暗なトンネル。

 上原将太さん(31)は一人で歩くうちに感じた。

 「これだけでは、あんまりおもしろくないかも」

 4年前、東京から地元の群馬県安中市に戻ってきた。

 県の代表として甲子園に出場し、大学でも野球を続けた。しかし、就職した都内の印刷会社での仕事は、野球の練習よりもずっときつかった。

 元々、地元でイベント企画に関わりたいと思っていた。会社を辞め、市の観光機構の職員として採用された。そこで任されたのが、廃線跡を活用するイベントだった。

 路線や出発点になる駅には、まちの誇りとも言える長い歴史があった。

 1885(明治18)年、高崎―横川間が開通。横川からさらに長野方面に向かうには、標高差553メートルの急勾配を越えなければならなかった。

 車両を押し上げるためには補助機関車を連結させる作業が必要で、一帯には鉄道関係者らが多く集まり、にぎわった。

 だが、時は過ぎ、1997年の長野新幹線(現在の北陸新幹線)の開業と同時に、JR信越線の横川―軽井沢間11・2キロは廃線となった。

 そんな地域で生まれ育った上原さんが初めて企画するイベントは、開催まで残り1カ月を切っていた。

 鉄道の歴史とともに、携わった人たちのストーリーを伝えられないだろうか。そうしたら、もっと面白くなるはずだ。

 「そういえば、じいちゃん、国鉄職員だったよな」

 ふと思い出した…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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