すぐそばで爆撃「遠くに逃げたかった」 逃れて思う母国の行く末

 ロシアのウクライナ侵攻が始まって2カ月となった24日、戦火を逃れて東海地方にやってきたウクライナの人たち34人が名古屋市に集まった。母国の行く末を案じながらも、異国の地での新たな生活に向け、日本語を学んだり仕事を見つけたりするための情報を交換し合っていた。

 名古屋市中村区の名古屋国際センターで開かれた、避難してきた人たちの「つどいの場」(市主催)。3回目のこの日は交通ルールの説明や、外国人向けの雇用支援、日本語教室の紹介があった。参加者はしきりにメモをとるなど、真剣な面持ちで耳を傾けていた。

 北東部ハルキウから母と避難してきたボルジフ・マリアさん(26)は、同市内のアパートで暮らす。ロシア軍の攻撃が激しく、1週間ほどシェルターで過ごして先月1日にハルキウを発った。その前日には、隣のビルに爆弾が落ちたという。「たくさんの人が死んだ。朝まで生きていられないと思った。できるだけ遠くに逃げたかった」

 その後は親戚を頼ってイタリアに逃れ、今月16日に日本へ来た。3年前に名古屋の日本語学校に通っていたこともあり、友人の助けを借りて市内のアパートを見つけた。

 いとこたちは、ハルキウに残る。母は毎日泣いている。「私たちには普通の生活があった。なぜ戦争をしなければならないのか、本当に分からない」。今は少しでも早く仕事を見つけ、生活を安定させたいという。

 午後には市民有志の呼びかけで、抗議集会が開かれた。避難者を含む約100人が同市内の久屋大通公園に集まり、「ウクライナに平和を」などと声をあげた。(三宅梨紗子)

「ことば」で支えたい 名大のウクライナ留学生

 ウクライナから日本に逃れてきた人々が直面するのが言葉の壁だ。

 母国と日本を言葉でつなごう…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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