異論のススメ・スペシャル
ロシア・ウクライナ戦争が膠着(こうちゃく)状態に陥っている。さてこの戦争は、日本人にとってどういう意味をもっているのであろうか。
さえき・けいし
1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「さらば、欲望」など。思想誌「ひらく」の監修も務める。
もともとこの戦争は、NATO(北大西洋条約機構)加盟をもくろむウクライナのゼレンスキー政権の崩壊と、ウクライナ東部の占拠を意図するロシア軍の侵略から始まった。そこには、われわれには容易には理解しがたいロシアとウクライナの複雑な歴史的背景があり、当初は、いわば壮烈な兄弟げんかのようなものと思われた。
ところが、ゼレンスキー大統領の国際世論への訴えや、メディアが報じるウクライナ市民の悲惨な映像により、「西側」は即座にウクライナ支援を表明し、次のように主張した。「これは、自由や民主主義、人権や法の支配を奉じる国際社会に対する攻撃である」と。ロシアが侵略したのはウクライナだけではなく「秩序ある国際社会」だというのである。
「普遍的価値」は真に普遍的か
日本も「西側」の一員としてウクライナを支援している。「西側」とは、冷戦時代を彷彿(ほうふつ)とさせるいい方だが、ここでは、今日のグローバリズムを支える、自由、民主主義、法の支配、主権国家体制、市場経済等の「普遍的価値」を共有する国家群をさす。日本も米国とともにこの普遍的価値の共有を常々主張してきたからには、ウクライナ支援を表明するのは当然ともいえよう。さらに、戦後日本は「秩序ある国際社会」の多大な受益者であり、この秩序を守るのは日本の国益でもある。つまり、「普遍的価値」を守ることが日本の「国益」でもある、というのだ。
日本がウクライナを支援する理屈に「少し躊躇する」と話す佐伯さん。論考の後段では、グローバリズムを先導する「普遍的価値観」をひも解き、著しく不安定な世界にあって日本はどのように国を守ればよいのか。そもそも何を守るのか、について論じています。
この理屈はわからなくはない…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル