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エッセー漫画「ひねもすのたり日記」4巻と、23年ぶりとなる短編集「あしあと ちばてつや追想短編集」を発表した漫画家のちばてつやさん(82)へのオンライン1時間インタビュー。「下」では、相撲漫画「のたり松太郎」の登場人物にモデルはいるのかといった裏話や、新型コロナウイルスで思い出したというある経験、戦争体験を伝え続けている思いなどを聞いた。
松太郎と田中清にモデルは?
――短編集収録の「グレてつ」では、「のたり松太郎」(1973年~98年、ビッグコミック)の誕生秘話も描かれています。
中国から引き揚げてくる時から、「お兄ちゃんは我慢する」「お兄ちゃんは弟たちの見本になる」「弱音を吐かない」といつも刷り込まれていました。いつの間にか知らないうちに、頭を押さえつけられて育ってしまったことに対する、母親に恨みもあります(笑)。母親は「てつやだけは、反抗期がなかった」って言うんですよ。私にも反抗期があったはずなんだけど、我慢しちゃったんだと思います。その反動で、好きなことをする生き方ってどんなにいいんだろうって。トキワ荘がうらやましかったという話にもつながるんですが、そういう気持ちがずっとあって、自分と全く逆の生き方をする人間を描いてみたかったんです。
松太郎だけではなくて、ハリスの旋風(1965年~67年、週刊少年マガジン)の石田国松あたりから始まっているんです。松太郎も、石田国松も、「おれは鉄兵」(1973年~80年、週刊少年マガジン)の鉄兵もそう。社会のルールとか、規約とか規則に縛られません。自分の思うままに描いて、ストレス解消していたのかな、と思います。
――松太郎は短期で終わる予定が、編集部に変えられてしまったそうですね。
ビッグコミックは当時、何年も前から私の作品を買ってくれていて、「一度青年誌に描いてみないか」と言われていました。こちらも「時間ができたら描きます」と言っていたんです。ちょうど「あしたのジョー」が終わって、私もアシスタントもへとへとで、1カ月くらい休んでいたときに連絡があったんだけど、約束していたのを忘れていました。それで大急ぎで考えて、「短編1回描きます」と言ったら、「長いこと待っているんだから、短編はないだろう」と言われて、「じゃあ、せめて前編後編くらいでどう?」くらいの話で始まりました。その時に、たがをはずしてのびのび生きる人間を描いて、警察に捕まっておしまいってやろうと思ったら、「終」っていうのを、糸へんはそのままでしたけど、いつのまにか「続」にされていた(笑)。これは本当なの。
その後もいっぺん終わりになったこともあるんですよ。松太郎は乱暴者で力だけあって、心技体の心も、技もなく、体だけあるやつ。だけど、こいつもこいつなりに頑張って、十両、関取になった、大いちょうが結えるところになった、おめでとう、というところで終わるつもりだったのに、その後なんだかんだで続くことになりました。2、3回そういうことがあって、そのうちに私の方もあきらめました。それで30年くらい続くような話になったんです。
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――豪放磊落(らいらく)な坂口松太郎(荒駒)ですが、モデルの力士はいたんですか?
当時いろんなお相撲部屋や地…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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