暗い水底に沈んでいるようだった。必死にもがいて少し浮上しては、反動でもっと深く引き込まれる。自殺を決意して遺書を書いたことも、餓死寸前まで山中の廃プレハブ小屋にこもったこともある。大学は3回留年した。漫画家・安田弘之さんの話である。
子どもの頃から優等生。大人に褒められるのは簡単だった。でも、美術教師になろうと教育学部で学び始めると、美術の世界には模範解答がなかった。「きれいで上手っぽい絵は描けるんだけど、これを表現したいと中から湧いてくるものが、自分には全くなかった」
対人関係にも行き詰まった。「相手に良く思われるよう、いったん頭の中でシナリオを書いて、セリフをしゃべっている感じ」が中学生の頃からあった。ここへ来て、その不自然さに耐えられなくなった。でも、心を偽装して上手に生きてきすぎたせいで、自分の本当の心がわからない。「何もないと気づいちゃって」
やすだ・ひろゆき
1967年、新潟県生まれ。95年「ショムニ」で講談社ちばてつや賞準大賞を受け、週刊モーニングでデビュー。他の作品に、ちひろの風俗嬢時代の物語「ちひろ」や、「紺野さんと遊ぼう」「寿司(すし)ガール」など。
今思えばうつだった。寝ていることしかできない間、いつも傍らにあった岩波文庫の「臨済録」にこんな言葉が書かれていた。逢著便殺、すなわち「逢(あ)ったものはすぐ殺せ」。自分以外に惑わされるな。仏に逢えば仏を殺し、高僧に逢えば高僧を殺せと、臨済宗の開祖は言い放つ。そうして初めて、なにものにも束縛されず、自在な生き方ができるのだと。
すぐには理解できなかった。「でも、間違いなくこれが本当のことなんだという確信だけがあった」
教師の道は捨て、漫画家をめ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル