焼け焦げた人たちであふれる川。昼も夜も遺体を運ぶリヤカーの車輪の音……。爆心地から北西900メートルの近くで被爆した大田金次さん(83)=広島市中区=の心には、刻み込まれた「地獄絵図」がある。
思い出したくもない光景だが、弱った体を押してでも語らずにはおれない。
特に最近は。
「世界中が核の不安に覆われていると思うから」
1945年8月6日、幼稚園に行くために玄関先に出たその時だった。ピカ。強いフラッシュのような閃光(せんこう)に襲われ、そのまま気を失った。当時5歳。両親と3歳の弟との4人暮らしだった。爆風で4人ともそばに掘ってあった防空壕(ごう)の中に落ち、崩れた家の下敷きになった。
数秒か数分か。「金次!」…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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