つけ麺ブームの火付け役 浅草開化楼の「カラス」が生み出す新しい麺

 東京都台東区にある製麺所「浅草開化楼(かいかろう)」の一日は、午前5時に始まる。40坪ほどの作業場に20人以上がひしめき、小麦粉3~5トン分の麺を作る。

 1950年創業。粉が舞い、ほのかに甘い香りが漂う町工場に、不死鳥カラスさん(53)がやって来たのは22年前だ。

 高校卒業後、プロレスラー大仁田厚さんのマネジャーを約10年務め、不調の時代も支えた。自らもリングに立った。

 負け続きで、リングネームは「負死鳥カラス」。そんな矢先の2001年、実家の町中華の取引先だった開化楼でアルバイトを始めた。

 単調な工場の作業は大の苦手だった。でも、配達先の店主にはかわいがられた。つけ麺にこだわる店主が漏らしたのが「さぬきうどんみたいなコシの麺がほしい」。

 当時の開化楼はつけ麺専用の麺を作っていなかった。気持ちに応えたい。「誰もやってないことをやんねえと」

 仕事の合間に麺を食べ歩いては、小さなミキサーで複数の小麦粉を混ぜ、味を確かめること数カ月。「これだ」という麺を届けた。「できるじゃねえか」とほめてくれた。

 ほどなく店主は病気で亡くなった。しかし、この麺が、東京・大崎で開店したばかりのつけ麺屋「六厘舎」で使われ、大人気になる。

 原価を抑えるため、添加物を使わず、小麦粉2種類とかん水だけで作ったオリジナルの「チーメン」を、06年に開発。雑味がなく、小麦の甘みを感じる麺はつけ麺屋「つけめんTETSU」で有名になった。

 つけ麺ブームの火付け役とも呼ばれるようになった開化楼と「カラス」。全国の店から多様な麺の注文が舞い込んだ。

全国に広まった「傾奇者」

 種類や銘柄が様々な小麦粉をどう組みあわせるのか。配合を試行錯誤するなかで、また「誰もやってないこと」に挑んだ。

 製粉業界最大手の日清製粉に…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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