約40年前、ベトナムから命がけで日本にたどりついたインドシナ難民の少年「チャン・アン・トン」さん。いまは日本国籍を取り、伊東真喜(まさき)さんとして、タクシー運転手になり、東京のまちを走っています。「一人でやってきたわけじゃないですから」と、これまで関わってくれたたくさんの日本人の名前を挙げて、伊東さんは話しました。そのうちの一家族に連絡すると「トンくん」を息子としていつまでも心配する「親たち」の姿が見えました。(withnews編集部・松川希実)
同じ「人間」だから
愛知県春日井市に暮らしている、松岡元(はじめ)さん(77)と、妻・さつきさん(74)。この松岡家で、後に「伊東真喜」と名乗る、チャン・アン・トンさんは、小学校5年生から中学3年生まで「里子」として、一緒に暮らしました。いまも、松岡さんはよく連絡をしています。「トンくん、コロナで仕事大変でしょう? 大丈夫なの?」
松岡さんはニュースで難民が日本に来ていることを知りました。まだ「難民」の本格的な受け入れを初めて間もない頃でした。夫婦で話し合い、里子として受け入れようと決めました。
松岡家に来たばかりのころ、トンくんはまだ日本語が十分に通じませんでした。松岡さんは日本語とベトナム語の辞書を買って対応しました。「ようやくコミュニケーションが取れるようになっても、なかなか気持ちまでくんでやることはできなかった。ずいぶん我慢させたんじゃないかと思います」とさつきさんは話します。
ちょうど反抗期と重なった子どもとの接し方には悩みましたが、松岡さん夫妻は「難民」ということはあまり意識しなかったと言います。「みんな、同じ人間だから」
早くに親や兄弟と離れていた分、「家族の良い雰囲気の中で育ててあげたい」ということを考えていました。
見せてくれた故郷の灯り
松岡さんが印象に残っていることがあります。ある日、竹ひごを使って、トンくんがベトナム式のランタン(提灯)を作ってくれました。「毎年、ベトナムで作るんだ」と故郷のことを教えてくれました。「日本の親や妹弟を喜ばせたい」という一心で、記憶の中のランタン作りを再現したのです。さつきさんは「それが本当にうれしかった。器用な子どもだなぁと思ったの」。
松岡さんが海外に転勤することになったとき、トンくんは「早く高校受験がしたいから」と日本に残るため、別の里親のもとにうつりました。一緒に暮らせたのはわずかな時間でしたが、40年経った今も、連絡を取り合っています。
「『明るく頑張っています』と聞くだけで、うれしい。どうか日本で幸せに暮らしてほしい。できれば、もう一度自分の家庭をもってね」。息子の再婚を願う姿も、親そのものでした。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース