なぜ居眠りなんてしてしまったんだろう。
車内が暖かくて、気持ちよくて、遠くから監督の声が聞こえた。
「ここを曲がったらゴールだからな」
箱根駅伝の第87回大会が翌日に迫る2011年の元日。10区を任された寺田夏生(32)=当時・国学院大1年=は前田康弘監督とコースの確認をしている最中に、夢の中へ引きずりこまれた。
それが箱根ファン伝説の「寺田交差点」を生むことになる。
つなぐ、つむぐ 箱根駅伝100回
2024年1月2日、箱根駅伝は100回大会を迎えます。残り500㍍での棄権、異例の1年生主将、繰り上げを避けた7秒の戦い……。伝統のトロフィーを作った職人秘話も。様々な「箱根」を取材しました。
箱根駅伝をきちんと見たことは一度もない。
長崎県出身。中高生6年間は足が速かったため、箱根駅伝がある毎年1月2、3日は必ず宮崎県内で開かれる強化合宿に参加していた。そこにはテレビがなかった。
「小学生の時にうっすら見た記憶があるぐらい。でも全然思い入れがなくて、箱根に触れる機会がなかったんです」
監督からのスカウトで国学院大へ入学。先輩の箱根への熱い思いに触れ意識は上がっていく。だが、逆にケガも増えていった。臀部(でんぶ)の炎症、疲労骨折、思ったように練習ができない。
12月に、選考メンバーから1人、離れることに。「もう箱根はないだろうな」。二段ベッドの上で、のんびりとゲームをして過ごす日も多かった。
走り出しは11位、シードまで21秒
メンバー入りを宣告されたのは、大みそかだった。「1キロ3分5秒で走れば良いから。いけるっしょ」。明るく言う監督の言葉に、迷いなくうなずいてしまった。
元日、10区(鶴見中継所~…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル