なにかおかしいと感じたのは、2軒目の鮮魚店でもやんわりと取材を断られたときだった。
那覇市の牧志第一公設市場。「50年前、本土復帰した日のことを聞かせてもらえませんか」と店先から声をかけた。通貨がドルから円に切り替わり、市場は店も客も大わらわだったという記述を何度か目にしたことがあった。
「おばあは忘れているからよ。ほかのお店にいらしてみて」と、漬物店。「どうかなあ。あのへんの先輩方に聞いてみたら」と、鮮魚店。別の鮮魚店と肉屋も回ったが、だめだった。
タイミングが悪かったかとも思ったが、日曜昼すぎの公設市場は、半分ほどの店にカバーがかかっていた。カートを引いた地元客と、観光客らしき家族連れがちらほら。コロナ禍前、観光客でにぎわっていたころの取材では、威勢のいい呼び込みのあいまに気さくに応じてもらっただけに、ちょっと首をかしげた。
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沖縄が本土に復帰して、今年5月15日で50年を迎えました。復帰10年後に那覇市で生まれ育った記者が、地元にかえり、身近な人たちに話を聞きながら、本土復帰とはなんだったかを考えます。
子どものころ、市場にはよく行った。
サーターアンダギーは、少し離れた路地の店で。
かつお節は、角の商店で削ってもらう。
豚肉1斤は買い物の最後に。そうやって母や祖母について回ったことを思い出しながらアーケードを抜けると、雨は上がり、薄日が差していた。
国際通りの一角にひとだかりが見えた。復帰50年を記念し、沖縄伝統のエイサーなどを披露するという。
ひとりの男性がマイクを握っ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル