年齢や障がいの有無に関わらず、住み慣れた地域で誰もが暮らせる「共生社会」実現に向けた取り組みが動き出している。
富山県でも、障がいがありながら地域で生きたいと願う家族がいる。
自閉症と重度の知的障がいがある子どもを育てる家族の1年を追ったドキュメンタリー。その願いをかなえたいと奮闘する家族を支えるものとは。
前編では、障がいのある子どもがどう学び、社会と関わっていけばいいのか。息子の未来を思う母親の奮闘を負った。後編では、通学する小学校から突き付けられた現実と決断、そして息子の未来を思う家族の思いについて迫っていく。
小学校から言い渡された厳しい現実
富山県富山市で暮らす荒城家は、母親・和恵さん、会社役員の父・謙一さん、中学生のお兄さん、次男・恵良(けいすけ)くんと4人家族。
次男の恵良くんは自閉症と重度の知的障がいを抱え、話すことができない。
この日の夕食は、恵良くんの大好きなハンバーグ。夕食はなるべく家族4人、そろって取るようにしている。
父・謙一さんは「遅くにできた子どもなので、自分たちが先に死んでいなくなっちゃうんです。そうなったときに、恵ちゃんだけでも、なるべく生きていきやすいような環境を整えてあげるという話を妻としていて。そうゆうことを一番真剣にできるのは無条件で親だと思うんです」と明かした。
地元の小学校に通い始め、ようやくその生活に馴染んだ頃、学校から和恵さんに連絡があり、付き添いは登下校のみで、授業は恵良くん一人で行うことになった。
その後、学校と家族の交流は、連絡帳で行われ、学校の出来事が詳しく記載されていた。
連絡帳に書かれた和恵さんの言葉は謝罪と感謝になりがちで、以前に比べ学校との距離は少し遠くなった。
1学期の終業式前日、学校との個別懇談会が行われたが、その帰り道、和恵さんに変化が起きていた。
学校から言われたことを和恵さんは私たちに話してくれた。この時ばかりは、いつも笑顔で前向きな和恵さんが弱音を吐いた。
「(学校からは)『特別支援学校を考えるように』という話で、厳しかったかな…。言語の訓練の面からいうと、学校では満足な訓練ができないから、恵良くんを伸ばすのは難しいから、支援学校に行って適切な訓練を受けたほうがいいと。
今、恵良くんがせっかく身に付けたものすらも、普通の小学校ではダメになることもあるかもしれないから、そういうことも踏まえて、家族で夏休み間に支援学校も視野に入れることを考えるようにと。
多分これから先もっともっと、道は厳しくなっていくと私は思っています。今までは、義務教育だから行かなきゃいけない。学校も行かせてくださいって、うちが言ったら受け入れなきゃいけない。だから、これでも本当は生ぬるくて。
15歳以降、18歳以降、もっと締め付けが厳しくなるだろうな、居場所を探すの大変だろうな、というのは今のうちから思っていて。
そうなったときに、今から私が根を上げたら、先に進む道が狭まっていく気がする。でも懇談会とか、ことあるごとに特別支援学校は勧められ続けるんだろうな…、6年間。胃の痛くなるような話をし続けるんだろうな…」
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
Leave a Comment