福島季評
「被災者になる」というのは、難儀だ。
いちいち自分の状況を説明するのが、難儀だ。説明した後に同情を向けられるのが、難儀だ。とはいっても、無関心だったり、見当違いの反応を返されたりするのは、もっと難儀だ。
日々の起居に支援をしてもらわなくてはならないのが、難儀だ。感謝はしている。それでも、何度となく「ありがとうございます」と言い続けるうちに、心が少しずつ擦り減っていく気がする。「被災者」のリアクションを期待されるのが、難儀だ。でも、「被災者」であることを伝えなければ、もう大丈夫だと思われてしまうかもしれない。だから、「被災者」としての模範解答を返す。「応援ありがとうございます。大変助けられています。がんばりますので、今後もどうぞお力添えをお願いいたします」
息をつく間もない慌ただしい日々のなかで、ぽっかりとできた空き時間に、われ知らず大きなため息をつく。いままでどおりの穏やかな生活を送りたいだけなのに、「普通に暮らす」、それがなんだってこんなに果てしなく難しくなってしまったんだろう。
誰もが望んで「被災者」になるわけではない。それでも、ひとたび「被災者」になると、それまでとはまったく違う日常が続くことになる。やがて、すぐに「復興」が始まる。復興が進めば、きっと元のとおりとはいかなくとも、少しは落ち着いた暮らしが戻ってくるだろう。
けれど、しばしば「復興」は…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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