なぜ仲井真氏は辺野古を承認したのか 菅氏の一言、始まった駆け引き

 復帰50年を迎える沖縄と自民党政権の間には、米軍普天間飛行場の県内移設をめぐる深い溝がある。安倍内閣は2013年に知事の仲井真弘多(ひろかず)に急接近したが、県民の反発を買った仲井真の退陣後は沖縄県と対立が続いた。その間、官房長官として沖縄政策を仕切った前首相の菅義偉の手法は、かつての自民党と異なっていた。菅と仲井真へのインタビューや関係者への取材を元に、政権と沖縄の曲折を検証する。(敬称略)

 3月末、コロナ禍で全便運休が続く那覇空港国際線のターミナル。日頃は閑散としているイベント広場が華やいでいた。「沖縄振興の起爆剤に」と期待される第2滑走路の供用開始2周年式典が開かれ、前首相の菅義偉と元知事の仲井真弘多(ひろかず)が居合わせた。

 菅があいさつに立つ。

 「官房長官、総理として、沖縄問題に全力で取り組んできた。そこにおられる仲井真知事に最初に言われたのが第2滑走路の事業でした」

 「第2次安倍政権の発足後、観光政策に全力で取り組んできた。現在は新型コロナですが、間違いなく沖縄の産業はV字回復する」

 仲井真が乾杯の音頭を取る。

 「こんなに立派な沖縄県を作っていただいた。日本の本土、政府の皆さんのおかげです。これからもシンパシーを持ってお導きを。我々も一生懸命仕事をして、沖縄経済のさらなる発展の大きな力となります」

 復帰50年への思いをにじませた仲井真。式典後、「本当は菅さんにもっとお礼を言いたかったけど、あんまり言い過ぎるとね」。

「寄り添ってもらわなくていい」

 2人の「あうんの呼吸」(菅…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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