旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題で宗教と政治の関係が問われている。ひとはそもそもなぜ信仰を持ち、宗教が果たす役割とは何だろう。政治学者の姜尚中さん(72)は若いころの出会いをきっかけに、洗礼を受けてクリスチャンとなった。信仰によって生き方や価値観はどのように変わったのかを聞いた。
かん・さんじゅん 1950年、熊本市生まれ。専攻は政治学・政治思想史。東大大学院教授、聖学院大学長などを経て、2021年から鎮西学院大学長。東大名誉教授。著書に「マックス・ウェーバーと近代」「在日」「悩む力」「愛国の作法」など。
1980年代、キリスト教の洗礼を受けました。埼玉県上尾市に住み、大学の非常勤講師をしていたときです。父と、第2の父と呼べる人を立て続けに亡くしました。
時代もバブルにさしかかり、等身大の暮らしと、荒川を挟んだ東京は別世界で、ねたみもあったんですね。閉塞(へいそく)感の中で悶々(もんもん)としていました。
そのころ、外国人登録法で義務づけられていた指紋押捺(おうなつ)を拒否しました。指紋を押さないと収監されます。市民団体が支援してくれ、その中に土門一雄という牧師がいました。
「すべてのわざには時がある」と言ってくれ、救われました。旧約聖書、伝道の書にある言葉です。今、時は姜さんにほほ笑んでいないが、その時が必ずくる、と。
僕の言葉で表現すると、洗礼はトゥワイス・ボーン、「二度生まれ」です。自分の力ではどうしようもない宿命的な苦難のなか、これまでの自分はいったん死んで、生まれ変わるのです。
よく例に挙げるのが映画「ショーシャンクの空に」です。かつて殺人を犯し、長年服役している男性(モーガン・フリーマン)に恩赦が出ない。彼は恩赦なんてどうでもいいと思う。殺人を犯したときの若い自分に「なんてバカなことをしたんだ」と言いたい。
長い刑務所暮らしで色んなものを見て、主人公と出会い、変わった。違う人格として、もう一つの人格を見ている。二度と以前の人格には戻らない。これが「二度生まれ」です。
2009年に長男が亡くなったことは、人生が課した最も大きな試練です。自分がいなくなること以上に、愛する者がいなくなることが、こんなにもシリアスなんだと。洗礼を受けていなかったら、自分を支えきれなかったと思います。
「幸福財」から見放されても
同時に思ったことは、私たちがこの世の中で望んでいるものは何か。日本では三つの「幸福財」に集約されます。無病息災、家内安全、商売繁盛。つまり健康、家族、金です。
洗礼を受けてよかったことは…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル