1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が侵入して散弾銃を発砲し、記者2人を殺傷した。犯行声明を報道機関に送りつけながら「赤報隊」は事件を重ね、いずれも未解決のまま2003年に完全時効となった。35年前の憲法記念日に放たれた銃弾は、分断と不寛容が指摘される現代に、何を問いかけているのか。
事件では小尻知博記者(当時29)が死亡し、事件時に42歳だった犬飼兵衛記者も18年に死去した。事件を目撃したのは、当時支局員だった朝日新聞社員の高山顕治(60)だけになった。「事件が忘れられていくのが怖い」と話す。
あの時はすき焼きを食べ終え、雑談していた。気づくと、3メートルほどのところに目出し帽の男がいた。1発目の発砲で耳がツーンとし、2発目は聞こえなかった。男が反転して支局のドアに向かう時、銃口が目の前を通り過ぎていった。わずか1分ほどだった。
小尻記者の遺影になった笑顔…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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