全国各地の古墳から出土し、社会科や歴史の教科書に登場する「埴輪(はにわ)」。令和の時代を迎えた今も、茨城県内に埴輪を作って売っている店がある。
筑波山麓(さんろく)ののどかな田園地帯を抜けると、赤茶色のヒト形の像が立ち並ぶ一角が目に飛び込む。創業60年の埴輪専門店「はにわの西浦(西浦製陶)」=同県桜川市真壁町東山田=だ。
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大小様々の武人や農夫の埴輪、ゴーグルを着けたような目の縄文土偶……。駐車場にはさらに大きなヒトや馬の埴輪がずらり。大きなものは2メートルはありそうだ。所々黒ずみ、こけむした埴輪が立ち並ぶ様子に、異世界に迷い込んでしまったような気持ちになる。
店内には、さらに多くの埴輪や縄文時代の火焰(かえん)型土器の形をした鉢などが所狭しと並ぶ。店主の山中誠さん(56)は「店内だけで千個はあると思う。店に入りきらず、大きいのは外に出してしまった」。動物の置物や植木鉢、椅子などの焼き物も販売するが、主力は埴輪だ。約3年前には70代の男性が、1メートル超で35万円する農夫の埴輪を購入したことも。「大きな埴輪なんておっかねえと思うけど……」と山中さん。客層も若い世代から高齢者まで幅広いという。
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一番の人気商品は、卍(まんじ)型のようなポーズの「おどるはにわ」。8センチほどから2メートル級まで様々で、価格も400円から200万円まで。庭に飾る置物として購入する客が多いという。ポイントは目の位置と口の形。わざと目を左右非対称にずらし、口を開けている。無表情に見える埴輪に個性が生まれるという。確かに、丸い目とぽっかり開いた口がおどけたようで、なんだか愛らしい。「私のダンス、どう?」と問いかけているようだ。
それにしても、なぜ現代に埴輪や土偶なのか。
山中さんによると、真壁町の土は焼き物に適していたことから、戦後、町内でかまど作りが盛んになった。中学卒業後に工房で働いていた父が、1960年前後に植木鉢の生産販売を始めたのが店の始まりだ。
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高度経済成長期、プラスチックやビニール製品が流行し、植木鉢が売れなくなった。山中さんが小学生だった70年過ぎ、父は植木鉢の工房を取り壊し、仕事の傍ら作っていた埴輪を販売する店を建てた。「好きなものを売りたいと思ったのだろう。埴輪なら商売になると思ったようだった」
山中さんは高校卒業後、自動車整備会社に勤務していたが、父の誘いで会社を辞め、約30年前から一緒に店を営んだ。バブル期でもあり、商品はよく売れたという。以来、2年前に父が80歳で亡くなるまで、親子で埴輪や土偶などを作り続けてきた。商品の多くは父が残したものだが、回転が早い商品は山中さんが作って補充する。
山中さんは2年ほど前から、店とかけ持ちで、夜間に流通関係の仕事を始めた。「毎日売れる物でもないから、店は確実な収入源にはならない。腐るもんでもないし、ゆっくり売っていけばいい」と笑う。「ネット販売すればもっと売れる」と言う人もいるが、直接店に来てもらうことにこだわる。同じ形でも表情や焼き上がりの色はそれぞれ異なり、画像では伝わらない。「同じものは一つも無い。見てもらって話をして、好きなものを選んでもらいたい」
口コミや過去に取り上げられたテレビ番組などで店を知り、全国から訪れる「変わった客」と、埴輪に関するたわいもない会話をするのが楽しみだ。(佐野楓)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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