ひきこもって34年、親を亡くした後 記者に届いた2枚の喪中はがき

 「ひきこもり名人」を自称する横浜市の勝山実さん(51)は、高校の時、不登校になった。

 必死に勉強して入った進学校の授業は、覚える量が多くてついていけなかった。とっくに限界を迎えていたが、家で勉強しないと、母から罵倒された。教室で座っているのが苦しくなった。

 高校は中退した。大検に受かったものの、3浪。進学は諦め、ひきこもった。おでん工場、ドーナツ店、郵便配達……。働いては苦しくて辞めることを繰り返してきた20代だった。

 限界を迎えて精神科に行き、うつ病の診断を受けたのが26歳の頃。31歳で障害者手帳を取り、年金をもらうと、「もうおしまいだ」と感じた。作業所で働いていた30代の時は、毎晩、「親が死んだらどうしよう」と将来が不安になった。

自分にも家族にも毎日否定されて

 記者が勝山さんに初めてお会いし、こうした実体験を聞いたのは2019年の夏。当時勝山さんは48歳で、横浜市内の団地で両親と暮らしていた。

 勝山さんは、「多くのひきこもりは、一日中、働かない自分を責め、不安で、心はいつも張り詰めています」と語った。かつて母から「働け」「出ていけ」「誰のおかげで飯が食えるんだ」と言われ続けた勝山さんにとってはなおさらだった。「自分にも家族にも毎日否定されて、病まない人がいるでしょうか」と問いかけていた。

 40代にかけて、ブログを書きためて本にしたり、当事者などが集まって話す会の世話人をしたりして、当事者として発信し、気持ちが落ち着くことも増えてきたという。

 20年末、勝山さんから記者のもとに1枚の喪中はがきが届いた。

 「アフターママンです」と書…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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