昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんは、日本国内での地道な救出運動に加えて、米国など国際社会にも拉致という北朝鮮の非道な人権侵害問題を提起し、解決に向け奔走した。国内外の関係者から悼む声が相次いだ。
■「全身全霊で日本全国に知らしめた」
「めぐみさんに会わせてあげたかった」。6日、新潟県佐渡市で報道陣の取材に応じた帰国拉致被害者、曽我ひとみさん(61)は心情を吐露した。北朝鮮ではある時期、めぐみさんと共同生活。一緒に拉致された母のミヨシさん(88)=同(46)=は行方不明で、平成14年に帰国後、自ら救出運動に加わった。「私の人生を救ってくれたこと、感謝してもしきれません」。不安な日本での生活を支えた滋さんの励ましに、こう感謝した。
滋さんは9年3月、家族会初代代表に就くと日本各地を飛び回った。ときの首相ら政治家にも懸命に解決を呼びかけ、拉致の重大性を世論に訴えた。
家族会の結成当初から参加した市川修一さん(65)=同(23)=の兄、健一さん(75)は「最初は誰も関心がなかった拉致事件を、全身全霊で日本全国に知らしめた。救出運動の象徴的な存在。家族は皆、滋さんに勇気づけられてきた」と振り返る。
■ほほえみ絶やさず…米に問題伝え
13年には妻、早紀江さん(84)らとともに渡米し、首都ワシントンの国務省でハバード次官補代行と会見した。拉致被害者家族が、米政府高官と会うのは初めて。滋さんの訴えに、米国側も北朝鮮へ拉致問題を提起する姿勢を示した。
さらに、15年の2度目の訪米では、アーミテージ国務副長官が力強い後押しを約束。「北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由に日本人拉致問題も含まれる」と明言した。日本人拉致が米国の対北朝鮮外交の一要素に組み込まれた形で、成果は大きかった。
訪米に同行した支援組織「救う会」の島田洋一副会長は「拉致という深刻な問題を伝える中で、凜(りん)としながらも、優しいほほえみを絶やさない。ムードメーカーで、国際情勢をよく理解し、米国に問題を伝える原動力になった」と語る。
■海外からも続々「大きな悲しみ」
滋さん死去を受け、海外からも追悼が相次いだ。米国務省の広報担当官は「北朝鮮に日本人拉致問題を即座に解決するよう促していく」。トランプ政権高官は「彼の働きをたたえ、北朝鮮に拉致被害者の解放を要求する」とコメントした。
拉致されたタイ人、アノーチャー・パンチョイさんのおい、バンジョンさんも、「滋さんとのお別れは、私たち拉致被害者家族すべてにとって、大きな悲しみ」と弔意を表した。
平成14年に5人が帰国して以降、拉致問題は進展がない。日本政府は「最重要、最優先課題」に位置付け、安倍晋三首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と無条件で会談する意向を表明したが、道筋は描けていない。政府が認定する未帰国拉致被害者12人の親世代で存命なのは、滋さんの妻、早紀江さんと、有本恵子さん(60)=同(23)=の父、明弘さん(91)の2人だけになった。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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