夏休みのほんの1カ月ほどの旅のはずだった。1941年8月4日、米国・サンフランシスコから豪華客船「龍田丸」が出港した。日系2世で10歳だったジャック・ダイリキさんは父と乗り込んだ。
まだ見ぬ日本への冒険に心躍らせたが、カリフォルニア州・サクラメントで見送った母は「日本に行ったら、もう帰ってこられない」と泣いていた。再び米国の地を踏むまでは6年以上がかかった。その間に広島で、米国が投下した原爆の惨劇に遭うことになる。
奥海田村(現・海田町)出身の父は、カリフォルニア州でホテルを営んでいた。日本に向かったのは、故郷の祖父の具合が悪いと知らせがあったからだ。妊娠中の母と弟、妹を残し、ダイリキさんは長男として父についていった。
日本語教えてくれたおば
船と列車で奥海田村に着くと、米国からの客は珍しく、歓待された。だが、すでに日米開戦の足音は近づいていた。7月末に日本がインドシナ半島南部に進駐すると、米国は石油禁輸などの経済制裁を発動していた。
米国に帰る船がなくなり、地…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル