ふつうに違和感、語感が違う「スタジオ感」 はやり言葉は嫌いなんだ

記者コラム「多事奏論」 編集委員(天草)・近藤康太郎

 九州だけでなく、最近は東京でも読者相手に講演や文章塾を開く。最後の質問コーナーで追及されることがあり、剣呑(けんのん)である。先日は「東京を飛び出したのはいいが、いつまで九州にいるんですか。北海道とか孤島に行ったら?」「好きなことばかりして、なぜ朝日をクビにならない? わたしならクビにする」。答えに窮する質問は、政治家にならい、総合的に判断して論点をすり替える。

 東京・町田の文章講座では、20代の女性が、読者の作文を読み上げるアシスタントをしてくれた。講座が終わり、感想を聞くと「ふつうにおもしろかったです」。邪気のない笑顔であった。

 「あのさ、若い人はよく『ふつうに○○』っていうけど、あれ、どういう意味なのかなあ」

 「期待していなかったけど、意外におもしろかったって意味です」。悪気のない笑顔であった。ふつうに傷ついた。

 わが私塾で、人間離れした大食らいでカネのかかるギャル原(28)が、わたしの記事を読み「かなりおもしろかったです」と、よく感想を送ってくる。おそらく「か」にアクセントを置かず、語尾を上げて読むのだろう。あまり続くので「あのさ、語感が違うんじゃねえの? 可なり=非常にとまではいかないが、並一通りを越える程度であること」。

 若者にとって「かなり」は「非常に」と同等かそれ以上。「とても、だとキモい」らしい。ギャル原の解説である。

 語感が、違う…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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