まちを出れば「無地の被災者」なのか 一晩漂流した一家7人はいま

 あっと気がついた時には、一家7人が避難した知人宅の2階ごと、引き波に持っていかれていた。

 津波が渦巻く湾内で、ぐるぐる回る。流されていた漁船に飛び移り、ひと晩漂流した末、なんとか岸にたどり着いた。

 2011年3月12日朝。ふるさとの町はもう、跡形もなかった。

 現在、宮城大学特任助教の阿部晃成さん(34)は当時22歳。今年春、宮城県石巻市雄勝(おがつ)町に戻って一人暮らしを始めた。ともに生き延びたほかの家族6人は、ふるさとへの思いを持ちつつも、全員町の外で暮らす。

 「復興」とはいったい誰のものか――。阿部さんはあの日以来、考え続けている。

 雄勝町は東日本大震災前、人口約4千人の漁業のまちだった。

 津波によって町中心部が広く浸水し、全体の8割近い1300世帯が家を失った。地区内に建てられた仮設住宅は161戸のみ。多くの人が地区外での仮住まいを余儀なくされた。

 それでも震災3カ月後の全世帯アンケートでは、56%が今後も住み続けたい、と答えた。

 復興計画の話し合いが始まった。

深まる対立 「あんたはもう関係ないっちゃ」

 会合は紛糾続きだった…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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