みなさんの声に私は支えられた 編集委員・大久保真紀

 今年度の日本記者クラブ賞は朝日新聞の大久保真紀編集委員(57)に贈られることが決まった。中国残留孤児や性暴力被害者などさまざまな社会的弱者の取材を長年続けてきた。粘り強い取材姿勢などが「時代を超えたジャーナリズムの原点」と評価された。大久保編集委員が取材活動を振り返るとともに、これまで手紙などを送ってくれた読者に話を聞いた。

1554通の声、つながり感じながら

 一枚のはがきがあります。それを写真立てに入れ、四半世紀以上、私は自宅の居間に飾ってきました。いわさきちひろさんの絵が描かれたはがきの消印は「新宿 1995年6月15日」。差出人の名前は書かれていません。

 「貴女(あなた)の記事を拝読しています」で始まる文面には、私が書いた三つの署名記事のことが触れられています。27歳で東京本社社会部に来た半年後の91年9月に連載した元五輪水泳選手の長崎宏子さんの記事。93年に日本に強行帰国した12人の中国残留婦人の記事。そして、直前に連載したフィリピン残留日本人2世の記事。「いずれも優しいお気持ちがいっぱいにあふれていて感動しました。今後も弱者の立場に立って、さまざまな問題を取り上げてください」とありました。

 「だれよりも私の記事を読んでくれている!」。心が震えたことをいまでもはっきりと覚えています。

 当時は記者の署名が入るのは解説や連載などに限られていました。朝日新聞で一般記事にも署名が原則となるのは2005年以降です。私の署名記事の内容をずっと覚えてくださっていることに感動しました。

 それ以来、私あてに届く手紙を保管してきました。多くがあたたかい励ましですが、手厳しい意見もとってあります。今回、自宅のファイルを調べたところ、確認できただけで、1554通ありました。こうした手紙やファクス、最近ではメールの、みなさんの声に私は支えられてきました。

 取材がうまくいかなかったり、企画や原稿が通らなかったり。長い記者人生の中では社内外で立ちはだかる壁の高さと厚さに落ち込むことも多々ありました。そんなときは必ずといっていいほど、みなさんの激励や感想が私の背中を押してくれました。いただいた文面を読み返し、涙をぬぐって立ち上がったことも1度や2度ではありません。

 すべての方にお返事を書けていないことをこの場を借りておわびするとともに、改めて感謝を申し上げます。

 最近も「子どもへの性暴力」の記事を読んで「自分のせいじゃなかった」とわかり、大泣きしたという大学院生の女性からお手紙をいただきました。家族から性暴力を受けていた方です。「教育があり、新聞があり、それを通じてつながる人たちがいるからいまも私は生きている」と書かれていました。

 みなさんとのつながりを感じながら、これからも取材を続けていきます。大久保真紀

     ◇

 福岡県生まれ。1987年、朝日新聞に入社。盛岡、静岡両支局を経て、東京本社社会部などに在籍して、旧厚生省、遊軍などを担当。編集委員の後、鹿児島総局次長を経て、2008年から再び編集委員。著書に「ルポ 児童相談所」(朝日新聞出版、18年)、「献身 遺伝病FAP患者と志多田正子たちのたたかい」(高文研、14年)、「児童養護施設の子どもたち」(同、11年)、「ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち」(八朔社、04年)、共著に「虚罪――ドキュメント志布志事件」(岩波書店、09年)などがある。

「自分の中に新たなアンテナを持てる」

 北九州市に住む井上洋美さん(57)は昨年7月、大久保編集委員らによる連載「子どもへの性暴力」を読み、はっとした。家庭内の性虐待に関する記事で「被害を受けた子と、私もすれ違っているかもしれない」と思ったからだ。

 井上さんは、小中学生の学習支援の仕事をしつつ、子どもらの悩み相談を聞くボランティアもする。性暴力の記事を読み、子どもの変化により敏感になった。実際に性虐待の相談を受けたときも、どう寄り添えばいいか、記事を思い出しながら対応ができた。

 「様々な現実を知ることで自分の中に新たなアンテナを持てる」と井上さん。

「ミーチャの記事が私の人生を変えた」

 2001年、当時19歳だった村田早耶香さん(39)は大学の授業で読んだ記事に衝撃を受けた。その5年前に大久保編集委員が書いた東南アジアの児童買春に関する記事。12歳で売春宿に売られ、エイズにかかった20歳の「ミーチャ」の過酷な人生がつづられていた。

 「自分と同じ年頃の子が、こんな目に遭っているなんて」。現地に行き、より深刻な現実を知った。翌年、国際NGO「かものはしプロジェクト」を設立。カンボジアなどで貧困層の女性の雇用を増やし、取り締まり強化にむけた支援もしてきた。

 最近は日本の子どもの虐待などに目を向ける。「ミーチャの記事が私の人生を変えた。より多くの子が幸福を感じられる社会を目指したい」

「日の当たりにくい人にスポットを」

 愛知県豊田市の佐藤治郎さん(85)は2015年、少年たちの再非行防止に取り組む元暴走族の男性を紹介する記事を読んだ。「日の当たりにくい人にスポットを当てる記事に感銘を受けた」。署名は大久保編集委員だった。

 男性が再犯防止のため立ち上げたNPOの活動に、記事に突き動かされて参加し始めた。若者たちの話を聞くと、孤独から犯罪に手を染めた子が多かった。立ち直り、将来の夢を語る子の顔は生き生きしていた。厳罰化を図る少年法改正案の議論が国会で進む。「子どもたちは愛情と手を差し伸べる人がいれば立ち直れる」

「孤児たちの心がそのまま映し出されていた」

 中国残留孤児が国を訴えた訴訟の原告団リーダーだった東京都の池田澄江さん(76)は2008年、大久保編集委員に直筆の「感謝状」を手渡した。「大久保さんの記事で私たちは助けられた」と振り返る。

 この年、孤児らへの国民年金の満額給付などの支援が実施されることになっていた。孤児らが国を相手に裁判を闘った結果だった。感謝状は原告団の会議などへ足しげく通い、記事を書いてきた大久保編集委員への孤児らの思いを伝えていた。「国を相手に訴えるのは怖かったが、大久保さんの記事で背中を押された。いつも原告みんなで回し読みしていた。記事は孤児たちの心がそのまま映し出されていた」

●1994年7月

93年秋に日本へ「強行帰国した」12人の中国残留婦人のその後を追った「ルポ残留婦人12人 それぞれの祖国」を連載。中国・フィリピンの残留日本人の問題の取材は約30年にわたる

●96年4月

タイなどの少女の買春問題を伝える「無垢(むく)の叫び 買われる子どもたち」を連載

●2001年3月

「虐待 児童養護施設の子どもたち」を連載。のべ80日以上、児童養護施設に泊まり込むなどして取材した

●06~07年

住民ら12人が公選法違反の罪に問われた鹿児島県の志布志(しぶし)事件では、総局デスクとして総局長とともに取材を指揮し、捜査当局による事件の捏造(ねつぞう)を明らかにした。

●16年8月

企画「小さないのち」を中心メンバーとして連載。1年半で10シリーズを展開した。事故や事件など同じような原因で子どもたちが亡くなる現状を示し、検証制度の導入を訴えた

●19年12月

子どもの性被害を考える「子どもへの性暴力」の連載スタート

中国残留日本人、冤罪(えんざい)被害者、遺伝性難病患者、虐待された児童、性暴力被害者など、さまざまな社会的弱者の実態を長期間にわたって取材し、新聞記事や「献身」「ルポ 児童相談所」「虚罪――ドキュメント志布志事件」などの著作で報じてきた。その手法は、児童養護施設に計80日間泊まり込むなど徹底した現場主義に貫かれ、理不尽で過酷な状況に置かれている当事者と信頼関係を築き、その肉声を伝えてきた。取材対象に「限りなく近く、しかし、同化せず」の基本姿勢や粘り強い取材は、時代を超えたジャーナリズムの原点であり、後進の目標になる業績である。(日本記者クラブの発表文から)

     ◇

日本記者クラブ賞〉全国の主な新聞社やテレビ局などで作る日本記者クラブが1972年に創設。報道や論評などを通じて顕著な業績をあげ、ジャーナリズムの信用と権威を高めたジャーナリストに贈られる。これまでの受賞は大久保編集委員を含む57人。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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