京都市伏見区の桂川の川底から、城に使うような石材が複数、顔を出している――。読者からの情報提供があったのは8月末。付近は、桂川、宇治川、木津川が交わる合流点で、昔から水運を利用した交通や軍事の要だった場所だ。すぐそばには淀古城もあったとされる。石には加工の跡も。この石の謎を追った。(才本淳子)
秀吉の側室・茶々ゆかりの場所
石を見つけたのは、歴史の勉強会やフィールドワークをしている「中之島考古学古代史探訪サークル」の植田正幸さん(66)=大阪府枚方市=らだ。
8月半ばに、河川敷を歩いていると大きな石がいくつも地面から顔を出しているのを見つけたという。
中学生の頃から、この辺りを歩いている植田さんによると、石を発見したところは、以前は川の水が流れていたという。植田さんは「大雨や長雨の影響で川底の砂がさらわれ、さらに川筋が変わったことで石が出てきたのではないか」。
石を確認した場所は、桂川、宇治川、木津川が交わる合流点に近い桂川左岸。古地図を広げると、ちょうど、豊臣秀吉が付け替え工事を行う前の旧宇治川や、秀吉の側室、茶々(淀殿)の産所でもあった「淀古城」があったとされる場所に近い。江戸時代には、将軍の代替わりや慶事の際に、朝鮮王から祝賀のために派遣された朝鮮通信使の船着き場(唐人雁木〈がんぎ〉)があった場所ともされる。ちなみに淀古城の遺構はこれまで、確認されていない。
「もしや幻の城が……」なんて、淡い期待を抱きつつ、10月に記者が専門家と現場を訪れた。
「矢穴の型式学」を提唱した古代学協会客員研究員の森岡秀人さんと、滋賀県立大の名誉教授、中井均さん(日本城郭史)と現場を歩いて、見解をうかがいました。
石材の年代 関ケ原の戦い前なのか、後なのか
植田さんらが8月に見たとい…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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