やっと着いた「希望の海岸」は78年前…高校生が沖縄を歩く3日間

託されたバトン ヒロシマ・オキナワ 1(全4回)

 「足がいうこときかん……」。夜が明けきらぬうちから歩き続ける高校生たちは、時にあえぎながら前へ前へと歩を進めた。沖縄で激戦の記憶に思いをめぐらせながら。

 広島学院高(広島市西区)の2年生9人が参加し、昨年12月下旬に行われたフィールドワーク「オキナワを歩くJr.」。1945年4月に米軍が上陸した沖縄本島中部から南部まで、3日間で80キロほどを歩む。

 口にするのは原則、栄養補助食品と水、スポーツドリンクのみだ。

 米軍の上陸直後に住民の「集団自決」があったガマ(自然壕(ごう))、日本軍と米軍の激戦地となった高台、女学生が看護要員として働かされた野戦病院跡……。地上戦の経過をたどるように歩き続ける。

 車で伴走する教諭の伊藤潤さん(50)は「ここから向こうは激戦地」「あそこが首里」などと教え子たちに解説していった。

この夏で戦後78年。戦争を経験した人たちは年々、少なくなっていき、体験の継承が課題となっています。高校生とともに沖縄を歩いた記者が、沖縄や広島で託される「バトン」を報告します。

 多くの住民が巻き込まれ、日…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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