よう言わんかった原爆の日 「ばあちゃんしゃべって」93歳が決意

 広島への原爆投下から77年。被爆者の高齢化が進むなか、胸に秘めてきたあのときの惨禍を次世代に語り始めた人がいる。被爆者の声に耳を傾けてきた若者は、その思いを世界に伝えていくとの決意を新たにした。

 広島県世羅町の森鳰(もりにぶ)峰子さん(93)は6日、車いすで平和記念式典に初めて参列した。「動けなくなる前に、式典の場で亡くなった人に祈りを捧げたかった」。午前8時15分、涙を流しながら黙禱(もくとう)を捧げ、心の中で祈った。

 「平和な世の中になりますように。誰もがみな幸せになりますように」

 原爆投下から10日後。庄原実業学校女子部(現・県立庄原実業高校)で、16歳の生徒だった森鳰さんは広島県北部の庄原から担任の教諭に連れられ、広島市へ向かった。病院で7日間、救護活動に携わった。

 やけどをした人の体からウジをピンセットでとったり、ガーゼを洗ったり。患者は次々と息絶えていった。「とにかく見殺しのような状態だった。気の毒でも何もできなかった」

 戦後は広島県尾道市の病院で働いた。原爆についての体験は家族にもほとんど話さなかった。あまり思い出したくなく、「よう言わん」と思っていた。ただ、被爆者の高齢化が進む中、「何か残さなければ」との思いはあった。

 口を開くきっかけになったの…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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