1930年代までに研究目的で収集されたアイヌ民族の遺骨4体がオーストラリアから返還され、8日に日本へ戻った。うち1体は日本統治下の南樺太(サハリン)で発掘されたとの記録があり、「樺太アイヌ」の遺骨として海外から返還された初めてのケースとなった。アイヌ民族の遺骨は複数の国で保管されているとされ、関係者の返還への思いが強いことから、日本政府が調査を進めている。
北海道アイヌ協会、樺太アイヌの子孫らでつくる「エンチウ遺族会」の関係者が今月上旬から現地を訪れ、遺骨を保管していた首都キャンベラの国立博物館とメルボルンのビクトリア博物館で遺骨を受け取った。豪側から返還の申し出があり、日本政府が手続きを進めていた。
内閣官房アイヌ総合政策室によると、この4体は30年代までに、解剖学者、人類学者の東京帝国大学(現東京大)の小金井良精教授らが、豪の複数の研究者に寄贈したとする記録が残っている。ビクトリア博物館の1体は、36(昭和11)年に南樺太のポロナイ川河口付近で発掘されたとされる。
今後、樺太アイヌの遺骨は北海道大で一時保管され、エンチウ遺族会の返還希望を受けて文部科学省の第三者委員会が返還の当否を審査する。ほかの3体は北海道白老町にある民族共生象徴空間(ウポポイ)の慰霊施設に運ばれ、保管された。
アイヌ民族の遺骨はかつて研究目的で収集され、無断で墓地から掘り出されたものもあるとされる。子孫らによる返還請求訴訟などを経て、北大などに保管されていた遺骨の一部が地元に返還された。海外で保管されている遺骨も見つかっており、2017年には、盗掘されたことが判明した1体がドイツの学会組織から返還されている。
関係者らは8日昼、遺骨とともに新千歳空港に到着した。
「サハリンの先住民族エンチウの遺骨をエンチウに、北海道の先住民族アイヌの遺骨を北海道アイヌに直接返還するというオーストラリアのご判断、その判断を尊重してくださった日本政府に感謝しています」
エンチウ遺族会の田沢守会長は、はっきりとした口調で言葉をつなぐ。「エンチウ」とは「アイヌ」と同じく「人間」の意味だ。
「私たちは日本列島の北にあ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル