「これが、人生最後の200メートル」
7日、カヌー・スプリントの女子カヤックフォア決勝。豪州のジョー・ブリジェン・ジョーンズ選手(33)はラストスパートをかけた。4人で息のあったパドルさばきを見せ、7位でゴールした。これが引退レースだった。
練習後は救急車に
毎週木曜日、朝の練習を終えると救急車に乗り、サイレンを鳴らしながらけが人や病人のもとに向かう。「565、1C、フレンチズフォレスト」。無線で管制員に緊急度合いを伝え、病院に運ぶ。
ジョーンズ選手はアスリートでありながら、豪州で救急救命士の顔も持つ。
10歳の頃から救急車のサイレン音にひかれ、5年前、救命士として働き始めた。日曜と木曜に12時間シフトで働き、月曜から土曜はカヌーの練習に励む。「アスリートとしての収入はない。生活費を稼ぐ必要がある」
身近に迫るコロナ
2020年1月、コロナの感染が世界各国で確認され始めた。翌2月、救急搬送した病人が感染していたことをのちに知り、「ついにここにも来たのか」と実感した。
3月、感染対策のため州をまたいだ移動ができなくなった。これまでシドニーに住んで救命士の仕事をしながら、飛行機で移動してゴールドコーストで練習を重ねていた。移動ができないならゴールドコーストに拠点を移そうと荷造りをして退去した直後、コーチから電話があった。「大会が延期されそうだ」
このとき31歳。元々、次の五輪が最後だと決めていた。東京大会のためにけがを克服し、夏休みもクリスマスも犠牲にして競技に捧げてきた。でももう1年、体がもつのかどうか――。心が折れそうになった。
特別なあの場所にまた
それでも「五輪は私にとって特別なもの」と、思いとどまった。2012年ロンドン大会の開会式。大観衆の中、スタジアムを歩いた。頭からつま先まで鳥肌が立った。満員の観客の声援を受けて試合のスタートラインに立つ。あのワクワクした気持ちは忘れられない。「もう一度、あの場所に戻りたい」と練習を再開した。
救命士の仕事をしながら、自宅の駐車場で一人トレーニングを続けた。仕事の継続は競技へもよい影響を与えた。患者や職場の同僚と交わることで視野が広がり、「スポーツが全てではない」と力みが消えて重圧からも解放された。「苦しい状況にある人たちを助けることで、気持ちが前向きになり、力をもらった」と振り返る。
最後の夏、無観客でも
臨んだ最後の夏、東京大会の会場に観客はいなかった。それでも五輪は特別だった。「世界中の選手がそれぞれの困難を乗り越えて、ここに集まっている」
ジョーンズ選手はレースを終え、柔らかい笑顔で言った。「五輪の決勝で引退できた自分を誇りに思う。コロナで大変な中、素晴らしい大会を開いてくれた日本のみなさんに心から感謝しています」(河崎優子)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル