インパール作戦「戦病死」の大叔父 最期の真相を追う遺族(産経新聞)

 【コヒマ(インド北東部)=大竹直樹】先の大戦時に多くの犠牲者を出し、最も無謀な作戦といわれた「インパール作戦」から75年。インド北東部のインパールでは22日夜、記念式典が行われ、日本から式典に出席した遺族の沢井園子さん(49)=京都府宇治市=が、地元マニプール州のメディア関係者を前に「インパール作戦で亡くなった大叔父のことを知っている人がいたら、ぜひ教えてほしい」と訴えた。

 「この日本兵を知りませんか」。英文で書かれた紙を沢井さんが掲げると、地元メディアのカメラのフラッシュが一斉に光った。

 沢井さんの大叔父の神居達(かみい・とおる)さんは、陸軍歩兵60連隊第一大隊の機関銃中隊の一員として作戦に参加。昭和19年7月、26歳で「戦病死」したとされたが、別動隊にいた可能性が浮上したという。

 15年前に64歳で亡くなった沢井さんの母は生前、「大好きだった叔父さんが戦死したビルマ(現ミャンマー)へ慰霊に行きたい」と口癖のように語っていた。沢井さんは「何か親孝行できることはないか」と考え、戦友会のメンバーらとミャンマーを訪問。大叔父が所属した機関銃中隊の生還者2人と面会した。しかし、2人とも「(大叔父は)絶対にいなかった」と断言したという。

 「祖国のために命をかけてインパール作戦で死んだのに、そこにいたことすら否定されたようで、気の毒に思った」

 沢井さんは約10年前から神居さんの最期の真相や足跡を追い、軍歴を記した兵籍簿などをもとに100人以上の関係者や専門家と面会。調査を進めてきた。

 その結果、大学で大叔父の1年先輩にあたる人が、日本軍の対インド工作を担った特務機関「光機関」に所属し、ビルマに派遣されていたことが分かり、その人の日記に、光機関から大学の後輩を5人ほど選んで連れてくるよう要請を受けたとの記述も見つかった。

 大叔父のビルマ入りの時期と重なっていたため、大叔父が日本軍とインド国民軍をつなぐ任務に就いていた可能性もある。だが、関係者の高齢化も進み、手がかりは年々得られづらくなっているという。

 「現地まで来れば、何かの手がかりが得られるのではないか」。そう信じて訪れたインパール。22日夜には早速、地元のジャーナリストから「知っている人を紹介できるかもしれない」と調査協力を約束された。

 沢井さんは「本当に涙が出た。戦争の記憶はいずれ風化していくと思うが、インドの人の気持ちに感謝している」と語った。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

Japonologie:
Leave a Comment