エレベーターで知らない誰かと二人きりになった時、降りる階に着くと黙って「開」ボタンを押してくれる人、いませんか? お互い目も合わせていないのに過剰な「サービス」をしてくれることと、無言であることのアンバランスさに、居心地の悪さを覚えます。「どうしてこの国は『無言社会』となったのか」の著書がある社会学者で追手門学院大教授の森真一さんと、この「違和感」について考えました。
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マンションのエレベーターで二人きりになった時、僕の降りる階で「開」を押してくれたり、降りる階を尋ねて階数ボタンまで押してくれたりする人、いますね。そこまでしてくれなくてもいいんだけどと思いながら、僕も、相手がすぐに目的階にたどり着けるように、降りる時に「閉」ボタンを押すことがあります。人がやっているのを見て、そういうものなのかと思って。
ボタンを押してくれる人の何割かは、「マナー向上委員」になったつもりなのかもしれません。「知らない人にはあいさつもしないギスギスした世の中には、ちょっとした心遣いをするマナーが必要だ」と。
丁寧にふるまうならば「どうぞ」などと一言声をかけてもよさそうなものですが、なぜ無言なのか。それも、その人なりの配慮なのだと思います。「お先にどうぞ」と声をかけること自体、大げさで恩着せがましいという感覚があるのでしょう。
僕の経験では、欧米系の人とエ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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