今年の大河ドラマの主人公として、注目が高まっている戦国武将の明智光秀だが、その実像は謎が多い。正確な生年は分からず、生誕地も諸説が飛び交う。「明智」や「明知」の地名が残る岐阜県には光秀が生まれたとされる場所が少なくとも4カ所ある。果たして光秀はどこで生まれたのか――。
明智光秀が歴史の表舞台に姿を現すのが40歳過ぎ、織田信長の家来となってからとされる。そのため、前半生は謎に包まれている。そんな光秀の生誕地について、数少ない手がかりが残されているのが岐阜県大垣市上石津町だ。地元の歴史に詳しい上石津まちづくり協議会によると、複数の古文書に「石津郡多羅(たら)」「美濃多羅城」で生まれたとする記述があるという。
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「多羅城」は戦国時代の城で、現在の上石津町多良地区にあったと推察されるが、正確な場所は不明。地区内の城ケ平や城屋敷など地名に「城」が残る数カ所が考えられるという。協議会の担当者は「ほかの出生地は文書はないが伝承がある。ただ、こちらは文書に記述があるが伝承が全くない」と話す。
男性は「光秀の娘の細川ガラシャに多羅という子がいる。多羅菩薩(ぼさつ)という仏教に由来する可能性もあるが、ガラシャがキリスト教徒ということを考えると上石津の地名から取ったのでは」と推測する。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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