キトラ古墳の壁画、発見から40年 技術の進歩と共に歩んだ調査

 奈良県明日香村キトラ古墳特別史跡)で壁画(国宝)が見つかって7日で40年を迎えた。最初に確認された四神の「玄武」がこの日も一般公開され、奈良市では専門家の講演もあった。壁画や古墳の価値にあらためて光があたる日となった。

 キトラ古墳は7世紀末から8世紀初めに造られたとされる。壁画は円墳の墳丘内部に、凝灰岩の切り石を組んで造られた石室内で確認された。

 石室の東壁に青龍、西壁に白虎、南壁に朱雀(すざく)、北壁に玄武が描かれていた。古代中国東西南北を守るとされた四神だ。四神の下には、獣頭人身の十二支像も描かれていたとされるが、図像が確認できないものもある。天井には、現存する世界最古の本格的な星図とされる天文図もある。

 その中でちょうど40年前(1983年11月7日)に確認されたのが、ヘビがカメに絡みつく姿をした玄武だ。ファイバースコープによる石室内の調査で図像があることが判明。高松塚古墳(明日香村)の極彩色壁画発見(72年)に次ぐ大ニュースとなった。

 現在、壁画は保存のため、古墳外の施設で管理している。村内の「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」では12日まで(8日閉室)、玄武を一般公開中。節目に訪れた高松市の島名マキミさん(62)は、「壁画が見つかったことも保存されていることも、すごいことですね」と話した。

 定員に達していない日時もあり、2次募集をしている。定員は各日約340人で見学無料。問い合わせは事務局(06・6281・3060)へ。(清水謙司)

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 奈良市の平城宮いざない館では7日、キトラ古墳の調査を手がけてきた明日香村教委文化財課の西光(さいこう)慎治課長補佐が、「キトラ古墳の歴史的意義~壁画の発見から現代、そして未来へ~」と題して講演した。

 壁画が発見された時、中学生だった西光さんは、テレビでそのニュースを見ていたという。「新聞に『高松塚古墳級』『法隆寺クラス』などの見出しが躍り、大変な話題になりました。発掘調査をせずに『非破壊』の方法で壁画を発見したことも画期的でした」

 西光さんは1997年春、明日香村の文化財技師となった。翌年の小型カメラによる石室内の撮影調査では、カメラを入れる穴を直径約3センチの手動ドリルで開ける作業を担当した。

 「石室の壁にあいた盗掘穴の場所がわからず、悪戦苦闘しているうちに、待ちくたびれた報道陣は離れてしまった。ようやく貫通して『開きました』と叫んだら、カメラがわっと戻ってきて『もう一度やって下さい』といわれました」

 その調査では、西壁の白虎と東壁の青龍、天井の天文図を確認。そして3年後のデジタルカメラによる調査では、南壁の朱雀、獣頭人身の十二支像が見つかった。壁画の画像も、どんどん鮮明になっていった。

 「壁画がいつ落ちてもおかしくない状況であることもわかり、取り外して保存する方向に進んでいった。キトラ古墳の調査は、科学技術の進歩と共に歩んできたといえます」と西光さんは振り返った。

 平城宮いざない館企画展示室では、キトラ古墳壁画発見40周年を記念して、明日香村などが主催する「飛鳥のモティーフ~葬(はぶ)りのカタチ~」展を開催中。キトラ古墳壁画の陶板レプリカや、西光さんが98年のキトラ古墳調査で使った手動ドリルなども展示している。観覧無料。今井邦彦

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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