対談 美学者 伊藤亜紗さん×作家・探検家 角幡唯介さん
コロナ禍は、私たちが否応(いやおう)なく、コントロールできない相手と「共に在る」事実を突きつけた。ウイルスだけではない。人間を脅かす自然はもちろん、家族、自分の体さえ、ときに理解を超えた存在になる。わからないままそこに存在するものと、どう関係を結べるのか。共に在る意味とは? まずは、動物を狩りながら極寒の地を旅する探検家と、理屈だけでは説明がつかない人間の体を見つめてきた美学者の2人が、「狩りとケア」というかけ離れた現場から話し合った。
伊藤亜紗(いとう・あさ)
1979年生まれ。東京工業大教授、同大未来の人類研究センター長。専門は美学、現代アート。著書に「目の見えない人は世界をどう見ているのか」、「手の倫理」、「記憶する体」(サントリー学芸賞)や福岡伸一、藤原辰史2氏との鼎談(ていだん)「ポストコロナの生命哲学」など。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年生まれ。新聞記者を経てフリーに。著書に「空白の五マイル」(大宅壮一ノンフィクション賞)、「極夜行」(大佛次郎賞)など、近作に「狩りの思考法」。2019年から、グリーンランド最北の村をベースに毎冬、犬ぞりで2カ月近くの旅に出る。
伊藤 グリーンランドの村から毎年、15頭の犬ぞりで北へ旅をされています。その顔ぶれには「この15頭でなければ」というこだわりはあるのですか。
角幡 長年かけて関係を築きあげ、意思疎通ができてきた犬たちですからね。訓練の途中では暴走して引きずられたり、重さ500キロもあるそりにひかれたりと、最初は散々な出来事ばかりで、犬が憎たらしくて。それが犬の動きが分かるようになり、ぼくの意図も伝わるようにもなって、関係性が深まりチームとして機能してくる。共に積み重ねた物語を、オミクロン株のせいで途切れさせたくないと思いました。
伊藤 犬との関係の濃さで少し似ていると思ったのは、私が知る盲導犬ユーザーの視覚障害者の方の話です。1年ほど前、13年連れ添った盲導犬をみとりました。彼女にとってハーネスは、盲導犬と一緒に目の前の環境を知覚するための繊細な神経繊維のようなものでした。盲導犬が右を向いたら、興味を持つ何かが存在するんだなとハーネスを通じて伝わる。だからペットと違い、盲導犬のハーネスはギュッと握りません。いつでも情報が受け取れるように、ゆるく、ぼーっとさせておくんです。
だから、犬がいなくなってしばらくたっても、手がぽかーんとして力が入らなかったそうです。白杖(はくじょう)を落としてしまったりする。不便だけど、でもそれは盲導犬と暮らした日々の証しなので、逆に手が使えるようになったら淋(さび)しい、と言っていました。
コロナというコントロールできない相手に直面した人間は、どのように向き合っていくのか。記事では、視覚障害者との対話や北極探検を通じた「見えないこと」をとっかかりに「未来は予期できない」という前提を受け入れるという選択肢が提示されます。後半では、介護、狩り、そしてウイルスの向き合い方にも触れています。
当たり前の日常が壊れ「どうしよう」
角幡 太陽が一日中昇らない…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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