コシヒカリのおかゆ営業の裏に「野村ID野球」 やり手社長は元投手

 データ重視の「ID野球」でプロ野球に旋風を起こした故野村克也さん。まな弟子のヤクルト現監督高津臣吾さんらからノムさんの教えの一端を学んだ元投手は、年商1・6億円の会社社長になった。新潟名産のコシヒカリを100%使ったおかゆの営業に、その学びを生かしている。

 中山大(たかし)さん(43)は小学4年のときに野球を始めた。新潟県立新潟江南高校の3年生だった1998年、左腕のエースとして春の県大会で優勝し、夏の全国選手権新潟大会は8強に進んだ。新潟大学でも活躍し、卒業後は、新潟市内に硬式野球部がある医薬品卸会社に就職した。

 身長178センチと投手では並の体格で、速球は最速142キロどまり。レベルが一段高い社会人の打者を抑えるため、変化球でカウントを稼ぐ投球術を磨いた。

 2年目の2004年、長野市のチームの補強選手として都市対抗に出場。のちにオリックスなどで活躍した元投手の金子千尋さんや元中日のエース吉見一起(かずき)さんと互角に投げ合い、プロのスカウトの目に留まるまでになった。しかし06年秋、負荷のかけ過ぎで心臓の疾患が悪化し、野球部を退部。間もなく会社もやめた。

 同じころ、プロ野球独立リー…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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