コロナ禍に直面する人類にとって、科学は危機打開のための欠かせない手立てだ。だが、データを集めて未知のウイルスや感染症の解明に挑む科学と、その成果を対策に生かす政治や受け止める社会の間からは、不協和音が聞こえてくる。どう改善すべきか。小林傳司(ただし)・大阪大名誉教授に聞いた。
――新型コロナウイルスについて、「正しく恐れよ」とよく言われます。ただ、何が「正しい」のかは難しい問題です。
「物理学者の寺田寅彦の随筆の言葉ですが、そこでは『正当にこわがる』と書かれています。浅間山の小爆発について、登山から戻ってきた若い学生がふもとの駅員に『なんでもない、大丈夫』と説明する。すると駅員は首を振り、『いや、そうでないです』と反論する。このやりとりを見て『ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい』と書いています」
――解釈の違いでこわがり方も異なるということですね。
「『正しく恐れる』は、東京電力福島第一原発事故の後、被曝(ひばく)の健康影響をめぐって使われました。あたかも科学的な正解があるかのごとく、科学者側が市民を『恐れなくていいときに恐れるのはおかしい』と戒めるように聞こえます。しかし、いや応なく生じてしまうのが人の感情です。寺田は感情のあり方を、科学とはある距離感を取りつつ語ったのです」
――科学は、正解を突き止められないのですか。
「コロナ禍で直面しているのは…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル