コロナ禍、場所や風景違っていても 変わらぬ平和の願い

 75年は草木も生えぬ――。そう言われたこともある広島は6日、被爆から75年となる「原爆の日」を迎えた。新型コロナウイルスの影響で平和記念式典の参列者を大幅に減らすなど、例年の風景は大きく様変わり。人々はそれぞれの場所でそれぞれの「ヒロシマ」と向き合った。

 午前5時、広島市中区の平和記念公園。いつもと違う慰霊の日が始まった。

 公園内に設けられた式典会場の内外には例年、約5万人が集まる。今年は密集を防ぐため立ち入り規制エリアを大幅に広げる代わりに、この時刻から2時間、会場内の原爆死没者慰霊碑に参拝できる一方通行のルートを設けた。参拝する数十人の列に加わった広島市佐伯区の清水俔子(ちかこ)さん(90)は、「戸惑って迷ったわ」。爆心地から約1キロの自宅で被爆し、姉と妹を失った。毎年式典に参列しているが、今年は広島市から案内が来なかったという。「あの日『痛いよ』と皮をぶら下げて歩いていた小さな子の声が耳に残っている。式典に参列できなくても、平和を願う気持ちは変わりません」

 午前8時から始まった式典では、2メートルの間隔を空けて椅子を配置。誰でも座れる一般席は設けず、被爆者や遺族、国内外の来賓ら、785人が検温して会場に入った。

 市長や首相らの発言が終わるたびに演台やマイクを消毒。こども代表として「平和への誓い」を読みあげた小学生2人の間には、アクリル板が設けられた。

 各都道府県からの遺族代表の参列は過去最少の23人、駐日大使ら各国の代表者も7月上旬の発表時より10カ国減って83カ国に。参列を断念した国連のグテーレス事務総長は、ビデオメッセージで核兵器廃絶の必要性を訴えた。

 式典の締めくくりでは、例年の市民らによる合唱や吹奏楽の演奏の代わりに、高校生4人が「ひろしま平和の歌」を被爆ピアノの演奏と歌唱で披露した。このピアノは爆心地から約3キロの民家で被爆。2017年にNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))がノーベル平和賞を受賞した際、ノルウェー・オスロでの記念コンサートでも使われたものだ。

 弾き手に選ばれたのは、広島市立基町(もとまち)高3年の平賀小雪さん(17)。「私でいいのかな」とも思いつつ、被爆死した曽祖父について祖母に話を聞いたり、平和記念資料館を見学したりしながら、この日を迎えた。同市立舟入(ふないり)高合唱部の生徒3人の歌声に合わせて演奏。「平和な世界を願う思いを届けたいという思いで弾いた。すてきな歌とともに演奏できて、一生の宝物になった」

 平和記念式典の前身の「第1回平和祭」が1947年に開催されて以来、ほぼ毎年実施されてきた「放鳩(ほうきゅう)」も中止に。例年は日本伝書鳩(でんしょばと)協会や日本鳩(はと)レース協会(いずれも東京)の会員有志が式典前日から用意していた数百羽のハトを、広島市長が平和宣言を読み終えた瞬間に飛び立たせる。市によると、両団体には高齢の会員も多く、感染防止のため参加者を絞る中、中止を決めたという。(東郷隆、西晃奈、三宅梨紗子、辻森尚仁)

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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