1852年に創業した秋田市の蔵元「新政酒造」の8代目・佐藤祐輔さん(45)は、従来の常識を覆す日本酒を次々送り出し、「日本酒界のスティーブ・ジョブズ」と称されています。東京大学を出て、ジャーナリストから30代で家業に戻った異色の経歴を持つ後継ぎ経営者に2020年5月、事業承継をテーマにインタビューしました。
安い焼酎を朝まで飲んでいた
――子どもの頃は、家業にどんな思いを抱いていましたか。 蔵から歩いて5分くらいの場所に住んでいたので、(先代社長の)父が蔵で仕事をする姿は見たことがありませんでした。僕も蔵の中に入った記憶はゼロです。8代目を継ぐ、という意識は一切ありませんでした。 90年ほど前に、すごい酵母(6号酵母)を見つけた人(5代目佐藤卯兵衛)がいたとは聞いていましたが、実感はありません。中高生くらいになると、会社の経営も下り坂になり、普通のサラリーマンの息子という意識が強かったと思います。 ――東大を卒業した後、実家には戻らず、フリージャーナリストとしての道を歩みます。その頃、お酒へのこだわりはありましたか。 ゼロです。30歳を過ぎるまで、酒は酔えればいいと思っていました。お金がないから、大手居酒屋チェーンで、安いボトルの焼酎をウーロン茶で割って、友達と朝まで飲んでいました。
最初はジャーナリストとしての好奇心
――そんな状態から、30歳を過ぎて日本酒に目覚めたきっかけは何だったのでしょうか。 ジャーナリストの先輩と、静岡県で1泊の飲み会に参加したとき、静岡の名酒「磯自慢」を勧められました。「日本酒?まじかよ」と思って、口に入れた瞬間、衝撃を受けるほどうまかった。明らかに市販のパック酒とは違うし、ジャーナリストとして好奇心を刺激されました。 帰った翌日には、全国の名酒を扱う東京の酒店から、大枚をはたいて日本酒を買いそろえました。愛知の名酒「醸し人九平次」を飲んだときは、感動して涙が出ました。 酒蔵の息子が日本酒のすごさを知らないくらいだから、大半の人は知らないのでは、とピンときました。週刊誌などに記事を書いていましたが、ジャーナリストとしてもっと得意分野がほしいと思っていた時でした。日本酒なら、父親が蔵元だからインサイダー情報が取れるんじゃないか、強い柱になって食いっぱぐれないなと考えたのもありますね。 ――家業を継ぐというより、ジャーナリストとしての興味だったのですね。 中高ではロックに親しみ、大学時代に文学に傾倒していたこともあり、物の見方はリベラルだと思っています。ワインの世界では、環境を意識した自然派ワインがありますし、体への影響や伝統的な技法かどうかが、味より重視されることがあります。しかし、日本酒では、社会的な視点で語る記事は少なかった。どんな酒がおいしいとか、蔵のカタログ的な記事ではなく、日本酒ジャーナリズムみたいな骨太のものを書きたいと思いました。 でも、日本酒をたくさん買って飲んで、書こうと思っても、造りが分かっていないと、批評する以前の問題なんです。そこで、おやじに相談して、東京都北区にあった酒類総合研究所に通って、酒蔵関係者向けの講習会を受けました。 物書きと並行し、夜遅くに記事を仕上げて、寝ないで講習に通うこともありました。授業中ずっと寝ていたり、泊まり込みの授業にも起きられなくて欠席したり。米を持ったり洗ったりする肉体労働も多くて、足手まといでした。新政の顔に泥を塗ったし、プライドもずたずたになりました。黒歴史ですね。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース