「脱ハンコ」は埼玉県内でも進んでいる。10年もたたない間にハンコ店は半分以下に減少。菅政権が推し進めるデジタル化の流れに、コロナ禍が拍車をかけた。
JR浦和駅西口からすぐ、さくら草通りに面した「平岩印舗」(さいたま市浦和区高砂2丁目)は1937年創業。2代目の平岩勇さん(82)が継いでからすでに50年ほどたつ。平岩さんは1級技能士の資格を持つ手彫りのハンコ職人。材質や字体を客の要望に応じて作る「味のあるハンコ」が誇りだ。「線を規則的に並べただけの、機械作りの文字とは違う」と胸を張る。
創業者である平岩さんの父親はハンコ作りが盛んな山梨県の出身で、兄弟3人全員がハンコ職人だったという。東京の本郷、鶯谷、そして浦和でそれぞれ開業。「ハンコで独立できる時代」があった。
最盛期の1990年代前半に比べると、現在の売り上げは半分以下。「最近はお客さんに『大変な商売だね』と言われることが増えて肩身が狭い」と平岩さんは苦笑い。「この流れはもう止められない。私が店をたたむ頃にはハンコも潮時だろう」
だが、新しくハンコを買う人もいる。記者が取材中に来店した50代の夫婦は、20代の息子用に注文した。「去年父が亡くなり、相続の書類で大量にハンコを押した。現行の手続きではまだまだ必要」。別の60代の女性も「ドコモ口座からの不正送金などもあったし、やはりオンラインには危うさを感じてしまう。実印も1本は欲しい」と話した。
手彫りのハンコ職人らが加盟する埼玉県印章業組合の組合長の竹山均さん(71)によると、2012年に県内に60あった加盟店舗が20年には半分以下の27に。竹山さんは「デジタル化の波に、コロナでテレワークが浸透したことなどが追い打ちをかけた。『10年もってほしい』から『1年もつかな』になってしまった」と話す。
竹山さんも、自身が経営する創業約70年の「芙蓉堂」(さいたま市大宮区宮町3丁目)を年内にたたむことを決めた。約2万本の在庫は産業廃棄物として処分しなければならない。費用もかさむため知人にあげようと声をかけたが、「『タダでもいらない』ってさ。使わないから。寂しい気持ちもあるけど、もうそういう時代だよね」。(黒田早織)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル