チングはいますか? 愛媛の漁村と朝鮮半島、夫婦のつながり

 海岸沿いを進むと、山のふもとが海に落ち込み、わずかな家並みが現れては遠ざかっていく。

 愛媛県南部の西予市三瓶町にある小さな漁村の岸壁近く。上杉重秋さん(82)が幼なじみの男性2人と話をしていた。毎日顔を合わせるような仲だ。

 「チングは朝鮮半島から来た言葉なんだと」

 「チング? 日本語だろ」

 この周木地区では、特に親しい友達を「チング」と呼ぶ。韓国・朝鮮語でもチングは「友達」の意味だ。

 上杉さんはこの地区で育ち、中学を卒業した1950年代半ばには、サバ漁の船に乗っていた。その少し前の52年、韓国が公海上に「李承晩ライン」を引いた。李承晩(イスンマン)大統領が自国以外の漁船を締め出すために設けたもので、日本の漁船が次々と拿捕(だほ)された。

 周木の船も1隻、捕まった。上杉さんも長崎県の五島沖で、取り締まりの韓国軍艦と遭遇したという。「夜に軍艦の明かりを見つけ、漁労長に知らせに走った。船の電球を消し、一目散に日本側に逃げたんだ。『りしょうばん』と聞くだけで震えたよ」

 近海でサバが捕れなくなると、60年代半ばから商船に乗り、船長となった。経済成長を続ける日本を韓国が追っていた頃で、韓国の港にもよく入った。南部の釜山や鎮海、黄海側の仁川や木浦、日本海側の蔚山。船長という立場もあり、上陸すると宴席に招かれた。

 韓国人の多くは日本語を話せた。植民地支配の傷痕。だが酒を酌み交わせば、「チングになるで」と互いに肩をたたき合った。

 チングは日本語なのか、他国の言葉なのか。上杉さんは考えたこともないという。「酒を飲んだら人間同士、そんなもんだろ?」

 なぜ愛媛の小さな漁村に、朝鮮半島の言葉が方言として残ったのか。

 地域の民俗や歴史に詳しい愛…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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