11月3日に開かれるプロボクシングの東日本新人王トーナメント決勝戦に、異色の遅咲きボクサーが駒を進めた。スーパーバンタム級(55・3キロ)に登場する二葉恒輝さん(30)の本職は、パトカーに乗る警察官。署の同僚や地域の期待を一身に受け、当直明けや休日に重ねた地道な努力と情熱で新人王を狙う。
長野県松本市の松本ACEボクシングジム。二葉さんは非番や休日を利用して、週に3、4日、夕方からここで練習する。
入念にバンデージを巻き、シャドーボクシングを繰り返す。トレーナーが構えたミットを打ち、サンドバッグに得意の重い左フックをたたき込む。
練習はみっちり2時間半。普段は柔和な表情だが、ジムにいる間の目は鋭い。
当直明けは1ラウンドで息が上がる
ジムの高山祐喜会長は、二葉さんが初めてやって来た5年前のことを鮮明に覚えている。
すぐにでもプロになれる技量は備えていた。ただ、警察官という激務のせいなのか、スタミナが明らかに不足していた。
特に当直明けの練習では、たった1ラウンドのスパーリングでさえ肩で息をする。パンチを放った後のガードは甘く、連打を浴びると泣き顔になる精神的な弱さも気になった。
二葉さんは地道にロードワークに取り組み、スタミナを徐々に取り戻していく。試合を重ねるにつれて、ガードの甘さは影を潜め、精神的にもタフさを増していった。
高山さんは「新人王トーナメントに挑むプロボクサーとして、30歳は遅咲きかもしれないが、確実に強くなっている。得意の接近戦に持ち込み、逃げることなく勝ち切ってほしい」と期待を寄せる。
大学でボクシング部に、フライ級で活躍
福岡県北九州市出身の二葉さんは、子どものころから細身で小柄だった。その反動からか、強さを競う格闘技への憧れを持ち続け、1年浪人して入学した関西学院大学でボクシング部に入部した。
164センチの体は、受験勉強の影響で70キロ近くまで増えていた。アマチュアでの適性を考えてフライ級(52キロ)での戦いを選び、過酷なトレーニングを重ねて大幅な減量に成功。半年後のデビュー戦で勝利を飾った。
「ジャブやフックなど様々なパンチを覚えることは楽しく、成長していることを実感できた」。勝ち負けにこだわる世界に身を置いたことは、大きな自信も身につけた。
大学卒業後は、もう一つの憧れだった「正義を担う」警察官を志す。ところが、福岡県警の試験に合格できず、いったん不動産会社に入社した。2年後、学生時代に趣味としていた登山で何度も訪れた長野県警に採用され、松本署に配属された。
サンドバッグをたたき、復活した情熱
ボクシングに打ち込むのは大学の4年間だけと決めてはいた。ただ、警察官に必要な体力を維持するために、筋力トレーニングと走り込みは欠かさなかった。
警察官になってからもトレーニングを続け、ほどなくして「あの頃の情熱が忘れられなかった」とジムに通いだす。
サンドバッグをたたき、スパーリングで拳を交えるうちに、かつて味わった勝利への欲求に飢え始めていった。
長野県警に採用されてから1年後、「厳しい世界に飛び込むため、プロテストを受けたい」と上司に打ち明けた。ダメだと言われたら、警察官を辞める覚悟だった。
すると、上司は背中を押してくれた。
「警察官との両立は困難かもしれないが、挑戦する価値はある。頑張ることで地域の人たちを感動させてほしい」
他の署員たちも二葉さんの挑戦に賛同し、カンパを募って試合用のトランクスを作ってくれた。表側には「電話でお金詐欺撲滅」の文字を入れ、裏側には県警の採用広報のうたい文句「PRIDE」をあしらった。
試合も捜査も大ぶりなパンチは当たらない
二葉さんは現在、地域第1課の自動車警ら班に所属する。パトカーに乗って地域をくまなく巡回し、不審者に職務質問をしたり、交通違反を取り締まったりしている。
ボクシングと警察官の仕事には共通する部分があると感じている。試合でも捜査でも、やみくもに放つ大ぶりなパンチはまず当たらない。
「勝つためには地道にジャブを放ち、犯人検挙のためには地道に職務質問を重ねる。根底は同じ理屈だ」と思う。
後楽園ホール(東京都)で開かれる決勝戦に勝利すれば、県内のジムとして初の新人王となる。
勝利にこだわるプロボクサーとして、地域を守る長野県警の警察官として――。二つの矜持(きょうじ)を胸に、二葉さんはリングに立つ。(安田琢典)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル